【バイタルエリアの仕事人】Vol.31 翁長聖|持ち味のスタミナは高校時代の鍛錬も要因に。ストイックな練習は「やりたいからやっている」

2023年08月19日 野口一郎(サッカーダイジェストWeb編集部)

「帝京三で鍛えられて、気づいたらスタミナがついていた」

豊富な運動量は高校時代に培われた。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

 攻守の重要局面となる「バイタルエリア」で輝く選手たちのサッカー観に迫る連載インタビューシリーズ「バイタルエリアの仕事人」。第31回は、FC町田ゼルビアのMF翁長聖だ。

 前編では、黒田剛監督の就任に伴う変化、得意のロングスロー、バイタルエリアを中心に攻守で意識している点を訊いた。

 後編となる本稿では、豊富な運動量を身につけた要因、長期離脱がない秘訣、今後の目標などについて語ってもらった。

 サイドバックやウイングバックで、激しい上下動に定評がある翁長。抜群のスタミナは、帝京三高時代の鍛錬にあったようだ。

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 中学校の頃は、ボランチやトップ下とかをやっていました。分かりやすく言えば"お山の大将"のような感じでした。それなりに、その地域では中心的な選手として試合に出してもらっていました。最高で関西でベスト16まで勝ち進んだことがあります。

 帝京三高では、2年生の時は3トップの左ウイングなどをやっていました。3年生になってからは1トップに入りました。あまり得点を量産するタイプではなかったですね。
 
 運動量を褒めていただけることも多いのですが、当時は自分では特に武器だと思ったことはなかったです。小さい頃から、学校では走るのは速いほうでしたが。高校で鍛えられたのかな、と思っています。

 標高が高い環境のなかで、移動するのが、すべて自転車でした。当然、走り込みも山のなかで行なっていた。それが、スタミナを強化する要因になったのかなと思います。学校の校舎が800メートルくらいの場所にあり、グラウンドはもっと高い1000メートルくらいでした。

 標高差があるなか、行きは全部上りで、帰りは逆に下りとなるなかで、毎日のように自転車で移動していました。そのため、行きは坂を上るために3、40分くらいかかりました。一方、帰りは下り坂で簡単に加速できるため、10分くらいで帰ってこられました。

 そんな環境で、気づいたらスタミナがついていた、という感じです。高校の時には、特に"走れるキャラ"ではなかったですが、大学以降で、運動量で苦労した経験はありません。

 中央大では、2年生の時から試合に出られて、ポジションはウイングでした。セルティックの古橋(亨梧)と同期。ともにウイングで、自分が左、彼が右だったため、ポジション争いはしていませんでしたね。

 彼とは同じ関西出身で、旧知の仲でした。中学生の頃によく試合をしていて、「あそこで有名なあいつ」という感じから始まって。単純に、サッカーが好きな選手という印象です。

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