【三浦泰年の情熱地泰】中学の同級生が教えてくれた思い出話。「勉強した方がいいよ」と言われた僕の答えは――

2023年08月15日 三浦泰年

同級生が教えてくれた‟ナーボー“とのエピソード

子どもの頃から「俺はサッカー選手になる」と断言していた三浦監督。日本代表にまで登り詰めた。(C) SOCCER DIGEST

 僕は今まで何故サッカーを選んでここまで突き進んできたのであろうか?

 僕にとってはそれが「サッカー」だったが、皆に(人に)とってはそれが色々であろう。

 それが僕の生きるモチベーションの原点であり、何故と思い出す必要があるのであろうか。

 好きなサッカーをやってプロとしてお金を稼ぐようになる。僕はそのお金をもらうためにサッカーを始めたわけではない。それはどんなに僕が歳を老いてもまだ覚えている。

 モチベーションを「チャンピオンになってフェラーリを買う」。サッカーでお金を稼ぎ「食べれるように」なる。
 
 そう考えられる年齢の頃には、すでにサッカーをやっていた。だから、それはサッカーを真剣に始めたきっかけではない。

 先日、実家がある静岡で同級生と再会した。僕は旧姓「納谷(ナヤ)」だったので、友人からは「ナーボー」と呼ばれていた。何十年ぶりに会っても「ナーボー、ナーボー」。また明日、会っても「ナーボー」だ。彼ら彼女らは「ミーボー」にも「ヤーボー」にもならない。

 そんな中、その同級生がナーボーとのエピソードをひとつ教えてくれた。もちろん同い年の彼女は当時、勉強のできるリーダー的存在だった。当時、よく使った表現で「女子(じょし)」のなかでも目立つ一人であった。

 当時、1学年10クラス以上あった中でも絶対に忘れない存在。みんなの憧れのような女子だ。いつ、何年の時、小学校も一緒だったか? と記憶は薄まる一方だが、中学で同じクラスだった。

 その彼女がこんな話を思い出し、楽しそうにしてくれた。僕にとっては恥ずかしい話だがお披露目させてもらう…。

 彼女は勉強を全くやらない僕に「ナーボー、勉強をやった方が良いよ!」とアドバイスしてくれたらしい。

 すると僕は「大丈夫! 俺はサッカー選手になるから!」と言ったそうだ。

 そこで彼女は「でもね…サッカー選手になれなかったらどうするの? だから勉強した方が良いよ」と言ってくれたらしい。

 僕の答えは「イヤ勉強はやらなくても大丈夫。絶対にサッカー選手になるから…」だったとか。

 やはり、ナーボーは頭が悪かった…(笑)。自己嫌悪…。

 その時代にサッカー選手って… プロもなく何を言っていたんだろう。僕にとってサッカーとは何であったのであろうか? プロがないのに… 何を言っているのだろう?

 皆、昭和のサッカー少年は全国大会に出て良い大学に行って良い企業に就職する。

 サッカーがそれに少しプラスになることなど、高校卒業が近くならなければ知らなかった。
 

次ページ僕は何のためにサッカーをやってきたのか? その答えは出たが…

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