中学卒業時にプロサッカー選手を目ざしスペインへ
志田愛希飛 (しだ あきと) ●出身地:富山県 ●年齢:21歳 ●身長:180センチ ●EDモラタラス(スペイン)出身。写真:田中研治
子どもの頃からサッカー一筋。中学卒業と同時にスペインへ渡った志田愛希飛 は、プロへの扉を開こうとしていた。
しかし、コロナ禍で挫折。途方に暮れていた時、初めて見た競輪の迫力と歓声に、新たな夢を見た。
一足先を走る兄の背中を追いかける21歳は、養成所で"羽ばたきの時"に向け、汗を流す。
――勝負事に向いていそうな素敵な名前ですね。
「ありがとうございます。やっぱり、こういう勝負の世界が好きですね。おじいちゃんが名付けてくれた名前の由来は、愛と希望を持った人に育って、大きく羽ばたいてほしい、という感じだったと思います。初めて会った人にはなかなか読んでもらえない、キラキラネームっていうんですかね。これまでアキトって名前の友だちはいましたが、漢字三文字をあてる人はいませんでした。僕自身は、結構気に入っています(笑)」
――小さい頃は富山県でサッカーをしていたとか。
「はい。小学校3年生の時、富山市のスクエア富山というクラブチームで始めました。ポジションはセンターバックです。中学も同じチームのジュニアユースで続けて、高校に上がるタイミングでプロを目ざしてスペインへ行きました」
――小学校、中学校の時の戦績はどうでした?
「小学校の時は、全少(第38回全日本少年サッカー大会)でベスト8。準々決勝で、その大会で優勝したセレッソ大阪に負けました。あとフットサルもやっていて、全国大会のバーモンドカップにも出ています。中学の時はクラブユースの全国大会で、グループステージで敗れました。そんな感じだったので、将来の夢はずっとプロサッカー選手で、自分にはサッカーしかないと思っていました。どうすればプロサッカー選手になれるか、子どもの頃は、そればっかり考えていました」
――中学卒業と同時にスペインへ渡ったんですか?
「そうです。エージェント会社を通してスペインへ行って、クラブチームのセレクションを受ける感じでした。実際にチームと契約できるかどうかは、その人の実力次第。学校は通信教育だったので、インターネットを使ってスペインで勉強していました」
――スペインでの生活や練習は?
「朝から語学学校に通って、昼間はスペインで僕と同じようにプロを目ざしている日本人と一緒にボールを蹴って、夜は現地のチームの練習に参加させてもらう毎日でした。最初のセレクションで受かったので、チームはすぐに決まりました」
――なんていうチームですか?
「マドリードにあるEDモラタラスというクラブです。僕がいた頃は、バルセロナとかで活躍したGKのビクトール・バルデスがアカデミーの監督をしていました。トップチームはたしかスペイン4部所属で、僕は、そのひとつ下のカテゴリーに合格しました」
――それでは、そのままトップチームに昇格して、いずれもっと大きなクラブへ移籍するプランを持っていたわけですね。
「はい。それが、ビザの関係から一度日本に戻って、向こうに戻るタイミングでちょうどコロナ禍になってしまって...スペインに入国できなくなりました。どうしようかなって親と相談した結果、大学進学も視野に入れながら、より可能性のある東京に出ようって。しばらく、早稲田ユナイテッドというクラブで練習させてもらっていました」
しかし、コロナ禍で挫折。途方に暮れていた時、初めて見た競輪の迫力と歓声に、新たな夢を見た。
一足先を走る兄の背中を追いかける21歳は、養成所で"羽ばたきの時"に向け、汗を流す。
――勝負事に向いていそうな素敵な名前ですね。
「ありがとうございます。やっぱり、こういう勝負の世界が好きですね。おじいちゃんが名付けてくれた名前の由来は、愛と希望を持った人に育って、大きく羽ばたいてほしい、という感じだったと思います。初めて会った人にはなかなか読んでもらえない、キラキラネームっていうんですかね。これまでアキトって名前の友だちはいましたが、漢字三文字をあてる人はいませんでした。僕自身は、結構気に入っています(笑)」
――小さい頃は富山県でサッカーをしていたとか。
「はい。小学校3年生の時、富山市のスクエア富山というクラブチームで始めました。ポジションはセンターバックです。中学も同じチームのジュニアユースで続けて、高校に上がるタイミングでプロを目ざしてスペインへ行きました」
――小学校、中学校の時の戦績はどうでした?
「小学校の時は、全少(第38回全日本少年サッカー大会)でベスト8。準々決勝で、その大会で優勝したセレッソ大阪に負けました。あとフットサルもやっていて、全国大会のバーモンドカップにも出ています。中学の時はクラブユースの全国大会で、グループステージで敗れました。そんな感じだったので、将来の夢はずっとプロサッカー選手で、自分にはサッカーしかないと思っていました。どうすればプロサッカー選手になれるか、子どもの頃は、そればっかり考えていました」
――中学卒業と同時にスペインへ渡ったんですか?
「そうです。エージェント会社を通してスペインへ行って、クラブチームのセレクションを受ける感じでした。実際にチームと契約できるかどうかは、その人の実力次第。学校は通信教育だったので、インターネットを使ってスペインで勉強していました」
――スペインでの生活や練習は?
「朝から語学学校に通って、昼間はスペインで僕と同じようにプロを目ざしている日本人と一緒にボールを蹴って、夜は現地のチームの練習に参加させてもらう毎日でした。最初のセレクションで受かったので、チームはすぐに決まりました」
――なんていうチームですか?
「マドリードにあるEDモラタラスというクラブです。僕がいた頃は、バルセロナとかで活躍したGKのビクトール・バルデスがアカデミーの監督をしていました。トップチームはたしかスペイン4部所属で、僕は、そのひとつ下のカテゴリーに合格しました」
――それでは、そのままトップチームに昇格して、いずれもっと大きなクラブへ移籍するプランを持っていたわけですね。
「はい。それが、ビザの関係から一度日本に戻って、向こうに戻るタイミングでちょうどコロナ禍になってしまって...スペインに入国できなくなりました。どうしようかなって親と相談した結果、大学進学も視野に入れながら、より可能性のある東京に出ようって。しばらく、早稲田ユナイテッドというクラブで練習させてもらっていました」
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