ついにバルサ・デビュー! 下部リーグやBチームを渡り歩いたA・ビダルの「知られざる波乱万丈伝」

2016年01月07日 下村正幸

バルサの下部組織ではBチームですら出場機会を失う。

2015年夏、一度は追われたバルサに13年ぶりの帰還を果たしたA・ビダル。ただ、そこまでの道程は決して平坦ではなかった。(C)Getty Images

 子供の頃、追われるようにして退団したクラブに13年後、請われるかたちで戻る――。2015年夏、この稀に見る"男版シンデレラストーリー"の主役を演じたのが、バルセロナのアレイクス・ビダルだ。
 
 カタルーニャ地方タラゴナ県の小さな村プッチパラートに生まれたA・ビダルは、4歳の時に自宅から車で10分ほどのところにあるディベルというチームに入団。めきめき頭角を現わすと11歳の時、知り合いのコーチのつてで受けたバルサの入団テストに合格した。
 
 当時FWだった少年は、ビッグクラブの下部組織でプレーするチャンスを手にして、やる気に満ちていた。しかし、すぐさま厳しい現実に直面する。入団して最初のオフに昇格したインファンティル(13~14歳のカテゴリー)でAチームのメンバーから外れ、Bチームに回されてしまったのだ。しかも、そのBチームですらなかなか出場機会に恵まれず、シーズン終了後には戦力外通告を受けた。
 
 故郷に戻り再起を期したA・ビダルは、15歳になるとレアル・マドリーの下部組織に加入。ポジションを現在の主戦場であるサイドに移した。だが、ここで待っていたのも過酷な運命だった。2シーズン目を終えた後、学業不振により通っていた学校から退学処分を受け、それに伴いクラブも退団する羽目になるのだ。
 
 ふたたびプッチパラートに戻り、故郷近くのレウス(当時3部=実質4部)のカンテラに入団したA・ビダルは、プロサッカー選手になれなかった場合に備えて、電気技師になるために夜間学校で勉強を始めた。
 
 次にビッグチャンスが巡ってきたのは17歳の時だった。レウスでのパフォーマンスが評価され、エスパニョールから誘いを受けたのだ。しかし、入団した時期が移籍期限ぎりぎりで、登録枠の関係で1年目の07-08シーズンは他チームへレンタル移籍。シーズン終了後に復帰したものの、A・ビダルを評価していなかったカンテラの責任者、ホセ・マヌエル・カサノバの意向でギリシャのパンスラキコスにレンタルで放出された。

次ページBチーム契約ながら夏のキャンプでトップチーム監督に評価される。

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