【連載】小宮良之の『日本サッカー兵法書』 其の五十一「南米王者が見せた“不細工な”強さ」

2015年12月28日 小宮良之

リーベルは、勝つべくして勝ったとも言える。

広島戦では劣勢に回ったリーベル・プレート。ただ、相手のミスを辛抱強く待ち、一気に勝負を決する様は「戦闘者としての厚み」を感じさせた。写真:サッカーダイジェスト写真部

<戦闘者としての分厚さ>
 
 アルゼンチンの南米王者リーベル・プレートの戦いを見ていると、そんな言葉が思い浮かんだ。
 
 クラブワールドカップの準決勝、リーベルは広島を相手に会心の試合をしたわけではない。むしろ数多くの決定機を作られ、劣勢に回った。華やかな攻撃はまるで見られない。終盤のセットプレーからの得点で、"ようやく勝ちを拾った"に等しい内容だった。
 
 しかしリーベルは、勝つべくして勝ったとも言える。
 
 リーベルは広島を恐れたわけではなく、単純にリスペクトしながら、自分たちの戦いをしたに過ぎない。無邪気に飛び込まず、焦れず、"最後に勝てばいい"というパワー配分だった。その証拠に、攻撃にはそれほど人数をかけていない。広島のカウンターに対してリスク管理を十分にしながら、ダメージを最小限に抑えつつ、相手のミスをひたすら待っていた。
 
 その辛抱強さが、終盤のセットプレーでのGKの判断ミス(パンチングで弾くべきところキャッチングを試みて失敗)での得点につながっている。
 
 リーベルが、負けにくく最後に勝利を拾うという形を崩さなかった事実は特筆に値する。相手が極東の開催国枠出場チームだからと言って、一切驕らずに油断していない。弱い犬のように吠え立てず、虎狼のように気配を消しながら、一気に勝負を制した。戦い慣れたチームという印象で、それこそ「戦闘者としての厚み」とも言い換えられるだろう。
 
 リーベルは広島がわずかによろけたところを見計らい、のど元に噛みつき、絶命させた。鋭い牙も爪も持つ虎狼は、真っ向から戦っても、その狂暴さは手に負えなかっただろう。つまり、彼らは確実に余力を残していたのだ。
 
「1点取っていれば、広島が勝っていた」
 
 その推論は十分に成り立つ。広島のサポーターがそう惜しがるのは当然だろう。しかしもしリードされた場合、リーベルは目を血走らせて攻めかかってきただろう。牙も爪も露わにし、大地を強く踏み、高く跳躍し、何度でも食らいついてきたはずだ。無論、広島は猛り狂ったリーベルを跳ね返せたかもしれない。しかし、彼らは結局のところ1点も奪えなかったのである。

次ページ戦いを貫徹した男たちは頭を垂れず、敗れざる者の顔を浮かべていた。

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