【G大阪】明神が名古屋へ! スタッフとしての慰留を固辞し、「対戦相手として、新スタジアムに立つことを目指す」

2016年01月06日 高村美砂

「ガンバに利益をもたらす」。強い使命感を抱えてプレーした10年間。

06年の加入以来、10年間に渡ってG大阪でプレー。中盤のバランサーとして存在感を示し続けた明神は、チームになくてはならない人材だった。 写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト写真部)

 G大阪で過ごしたこの10年。移籍初日に言われた当時の佐野泉代表取締役社長の言葉をずっと、自分に投げかけてきた。
 
「今季は強化に8億円をかけた。君たちに、頑張ってもらわなければ困る」
 
 06年1月のことだ。ともに加入を決めたマグノ・アウベス、加地亮、播戸竜二らとともに社長室に挨拶に出向いた明神智和は、真顔で言われたその言葉に、強い使命感を抱いたと言う。
 
「それだけのお金をかけてもらったことに応える活躍を示さなければいけないし、その金額以上の利益をこのガンバにもたらさなければいけない」
 
 そこから、『G大阪・明神智和』としての戦いはスタートした。当時の監督は西野朗氏。柏時代にもともに仕事をしたとはいえ、チームが変われば、戦術も、求められるものも違う。
 
 しかも、前年度にクラブ史上初のJリーグ優勝を決めたG大阪にとって、06年はディフェンディングチャンピオンとして戦う年。過去には日本代表として日韓ワールドカップに出場した明神でさえ、その重責はプレッシャーとしてのしかかった。
 
 だが、徐々にそれを撥ね除けながら、明神は唯一無二の存在として中盤に君臨し続けた。加入から2年ほど経った頃だろうか。スタジアムには「ここにも明神、そこにも明神」というゲーフラが掲げられるようになったが、それは当時の彼の存在感を如実に示すもの。

 圧倒的な運動量と守備力、そして戦術眼を従え、危険を察知するや着実にその芽を摘み取っていく様は圧巻で、08年のACL優勝の舞台にも、また07年のナビスコカップ初制覇や、08、09年の天皇杯連覇の舞台にも、喜びの輪の中心にはいつも彼がいた。
 
「常に『タイトル』を獲ることを意識しながらサッカーをできたことで、自分自身のサッカー感にも広がりを持てたし、タイトルを獲れた喜びが、またタイトルへの欲に繋がって、もっと高いところへ、もっと大きな喜びを、と自分が引き上げられていく感じがあった。これはガンバという『タイトル』を義務づけられたチームに在籍できたからこそ、気づけたことだったと思う」
 

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