柿谷曜一朗の決意。徳島移籍にかける思い。「若い子たちに背中を見せたい」。“本当のプロ”になった地で、新たな成長を求めて

2023年02月19日 渡邊裕樹(サッカーダイジェストWeb編集部)

行き詰っていた19歳に手を差し伸べたクラブ

12年ぶりに古巣徳島に帰ってきた柿谷。「充実した一年になりそう」と笑顔を見せる。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

 2023年シーズン、柿谷曜一朗は古巣の徳島ヴォルティスに新天地を求めた。12年ぶりの復帰。類まれな才能に恵まれ、無限の可能性を秘めた若き日の自身が、"本当のプロ"になったクラブ。かけがえのない時間を過ごした地で、33歳となったジーニアスは、どんな思いでピッチに立つのか。

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「楽しいっすね。もちろん練習内容もそうやし、若い選手たちが伸び伸びとやれている環境に自分がいるのも、すごく刺激的。本当に素晴らしい選手が揃っている」

 プレシーズンの高知キャンプと、宮崎キャンプを終え、徳島に戻って練習に励む柿谷曜一朗は、そう現状を語ってくれた(インタビューは2月1日に実施)。

 C大阪のアカデミーで育った柿谷は、2006年に16歳でトップチームに昇格し、クラブ史上最年少でプロ契約を結ぶと、同年11月の大宮戦でリーグ戦に初出場。

 また、各年代の日本代表でも活躍し、06年のU-17アジア選手権では唯一のプロ選手としてプレー。決勝の北朝鮮戦では、0-2のビハインドから、目の覚めるようなゴラッソを決めてみせた。

 ワンバウンドの浮き球をリフティングのように浮かせてコントロールすると、同時に相手DFを置き去りにし、ボールが落ち切る前にボレーシュートを叩き込んだ。このゴールを皮切りに延長戦の末、4-2で逆転勝利を収め日本が優勝。柿谷は大会MVPに輝くなど、天才的なプレーで観客を魅了し、その名が広く知れ渡った。
 
 その後、一気にスターダムを駆け上がるかに思われたが、遅刻がちになるなど、自身の素行の悪さで足踏みをしてしまう。そんな時期に手を差し伸べてくれたのが徳島だった。

 当時19歳だった柿谷は、美濃部直彦監督や、キャプテンだった倉貫一毅(現・琉球監督)らの厳しさと温かさに触れ、少しずつプロの選手に成長していく。サッカーに打ち込むことで年々出場機会を増やし、その後の活躍の土台を築いた。

 2012年にC大阪へ復帰し、翌年にはキャリアハイの21ゴールを決め、同年のJ1ベストイレブンに輝く。2014年にはブラジル・ワールドカップも経験し、夏に渡ったスイスのバーゼルではチャンピオンズリーグにも出場した。

 そんな柿谷は、昨季の名古屋では負傷に苦しむなど21試合に出場したものの、フル出場はなし。10月には左腓骨筋腱損傷の治療のため手術を行ない、前回徳島に加入する前年の2008年以来となるリーグ戦無得点でシーズンを終えていた。
 

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