「GKもやってのけた」「常に誠実で丁寧な物腰」“王様”ペレの凄さと素顔がわかるエピソード

2023年03月07日 リカルド・セティオン

生涯で4度、公式戦でGKを務めている

勝利のためにはGKもやってのけたペレ。すべてが規格外だった。(C)Getty Images

 2022年12月29日、サッカーの王様がこの世を去った。本名エドソン・アランテス・ド・ナシメント、通称ペレ。数々の逸話と伝説を残してきたレジェンドの、はたして何が特別だったのか。旧知のジャーナリストが、その偉大なる功績を偲ぶ追悼文だ(後編)。
(前編はこちら)

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 個人的な思い出を語ろう。1963年生まれの私は、それこそペレに夢中になった世代だ。ペレのポスターを貼り、ペレの試合がある日は朝からソワソワとキックオフを待ち、試合が始まればテレビにかじりついた。いつかペレに会いたい──。ブラジルの少年たちはそう夢見たものだ。もちろん、私も例外ではなかった。
 
 6歳の誕生日プレゼントは特別だった。父親がサントスの試合に連れていってくれたのだ。サンパウロの我が家からサントスまで60㌔ほどの"遠征"は、私にとって初めてのサッカー観戦でもあった。このときのことは今でも鮮明に覚えている。
 
 強い雨が降っていた。それでもスタジアムは満員の観客で膨れ上がっていた。サントスは勝ち、なんと、ペレがGKとしてプレーした。ペレは生涯で4度、公式戦でGKを務めているが、私が観たこの試合がその最初の機会だった。雨のせいか両チームに怪我人と退場者が続出し、サントスは正GKが負傷で退き、交代で入った控えのGKも退場処分となり、フィールドプレーヤーの誰かがゴールマウスに立たなければならなくなった。名乗りを上げたのがペレだった。
 
 ペレは試合終了までの34分間を無失点に抑え、チームに勝利をもたらした。6歳の子供にはまさに衝撃的な出来事だった。ペレがどうしてGKをしたのか、私は何度も何度も父に尋ねた。父は言った。
 
「彼はキャプテンだからチームで一番責任があるんだ」
 
 勝ち負け以外にも、トリッキーにボールを蹴る以外にも、サッカーにはそんなストーリーがあるんだと私は興奮を覚えた。そして、そんな素晴らしいサッカーというものに関わる仕事がしたいと、そう思ったのだった。
 
 ペレに会いたいという夢は、思わぬ形で叶うこととなった。1994年だ。チュニジアで開催されたアフリカ・ネーションズカップがその舞台となった。
 
 当時の私はフリーランスの貧乏ライターだった。それでも、なけなしのカネをすべて取材費に注ぎ込み、サッカーを追って世界のどこまでも出掛けていった。ペレは『マスターカード』のゲストとしてこの大会に呼ばれていて、記者会見があることを知った私は踊るようにして会場に駆けつけた。
 
 ブラジル人の記者は自分ひとりだった。会見が始まって私は仰天した。フランス語の通訳がペレの言葉を誤訳しているのだ。母親がフランス語のネイティブスピーカーだったので私はフランス語が話せた。怪訝な面持ちの私を見咎めたペレが、どうしたのかと理由を尋ねる。通訳がめちゃくちゃだと伝えると、ペレはこう言った。「では君が通訳をやってくれ」
 

次ページ最後の挨拶をするためにスクーターを飛ばして…

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