【鹿島】V字回復をもたらした石井監督が施した蘇生術とは?

2015年11月01日 サッカーダイジェスト編集部

ジーコからの言葉が自らの指針のルーツに。

就任3か月でひとつめのタイトルを手中に収めた石井監督。チームを見事に甦らせた。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

 監督就任から3か月で、鹿島に17個目のタイトルをもたらした石井正忠監督は「私はなにもしていない。選手が戦ってくれたから勝てた」と謙遜する。もちろん額面通りには受け取れない。優勝を目指した第1ステージ。アジア・チャンピオンズリーグと並行しながらの日程となったが、右肩上がりの時期はほとんどなく、不安定な戦いで8位に終わった。そのチームを就任からわずか3か月でV字回復させたのだから、指揮官の手腕が無関係であるはずがない。
 
 前任のトニーニョ・セレーゾ監督は若手への指導、研究熱心な一面を持つなど、指導者として長所はたくさんあった。その一方で、今季は選手の動き方、戦術には多くの約束事を設けたことで、選手から自由な発想や臨機応変さを奪ってしまった。一次政権時代(00~05年)を含め、鹿島監督歴も9年目に突入。選手起用に「練習で頑張っている」という理由が出てくるなど、クラブ理念の「勝利追求」から離れる形になった。
 
 鹿島伝統の変幻自在な中盤は陰を潜め、チームからは覇気が薄れていった。練習風景も、取り組むというよりは、指揮官の大声だけが目に付き、押しつけている印象に変わった。選手からは起用法、戦術について「なぜ?」「どうして?」という声も漏れてきた。解こうとしているつもりでも、糸は思わぬ方向に、複雑に絡みあっていった。
 
 それを元通りにしたのが、7月下旬に就任した石井監督だった。選手の序列をつけるにあたって、明確な指針を示した。
「本当に細かい技術トレーニングというのは、トップ選手に来てからはなかなかできないですけど、意識としては、派手なプレー、かっこいいプレーじゃなくて、本当に一流選手というのはシンプルで、そういうプレーを判断良くスピーディにできるということが、一番じゃないかと自分のなかでも持ち続けて指導しているつもりです」
 
 1991年にNTT関東から鹿島の前身、住友金属蹴球団に加入。98年(福岡所属)を除く、24年間、選手として、指導者として鹿島に籍を置いた。加入当初、現役だったジーコから「基本のプレーを正確に判断速くやれることが一番いい」と言われた言葉が、指針のルーツだ。

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