同僚から“裏切り者”扱いされ、メッシも時に煩わしさを…破天荒なピケのキャリアを番記者が明かす【現地発】

2022年11月15日 エル・パイス紙

ブスケッツとの関係は良い時も悪い時もあった

引退セレモニーで涙を流すピケ。(C)Getty Images

 ジェラール・ピケは、1997年に当時バルセロナのカンテラで最年少のカテゴリーだったアレビンB(U-11)に入団した。父親はポルシェで、母親はメルセデスで練習場まで迎えに来ていた。ラ・マシアのあるコーチは当時のピケについて次のように述懐する。

「みんなジェラールの友達になりたがっていたよ。金持ちであるだけでなく、愛嬌があった。人目を引く存在で、チームのムードメーカーだった」

 25年経っても、ピケの印象は変わっていないという。「同じだ。自分の人生を切り拓いていく逞しさを持っている。上昇志向が強い」。ただその一方で、ピケの性格は常に表が出るか裏が出るか分からないコイントスのようなものだ。少なくとも日々接する周りの人間にとってはそうだった。

【動画】電撃引退を発表したピケの投稿
「15年間一緒にトップチームでプレーしてきた。ドレッシングルームにジェラールがいなくなるのは寂しいよ」。引退の報に接し、セルヒオ・ブスケッツはこう語ったが、その間、2人の関係は良い時も悪い時もあった。リオネル・メッシもそれは同様で、ピケのジョークに心を和ませる時もあれば、その悪戯好きな性格に煩わしさを感じる時もあった。

 2人でホペイロの古いバイクに火をつけたこともあった。ピケは「エンジン音がうるさいから」と弁明し、翌日、新しいバイクを買い与えた。

 こうした数々の"武勇伝"が、キャプテン就任を遅らせる結果となり、復帰10年目の18-19シーズンまで待たなければならなかった。その間、ピケの復帰から2年後の10年夏に加入した"外様組"のハビエル・マスチェラーノにも先を越されている。ただその一方で、チームが苦境に陥った時に4人のキャプテンがこぞってメディア対応に消極的になる中、スポークスマン役を買って出たのがピケだった。

 キャプテンになっても、常に周りと協調して行動していたわけではない。世界がパンデミックに見舞われた2020年、残りのキャプテン(メッシ、ブスケッツ、セルジ・ロベルト)が当時の会長、ジョゼップ・マリア・バルトメウとチーム全体の減俸交渉に臨んでいた最中、ピケを含めたマルク=アンドレ・テア・シュテーゲン、クレマン・ラングレ、フレンキー・デ・ヨングの4選手が個別に契約延長にサイン。チームメイトはキャプテンらしからぬその単独行動を問題視し、翌日、ドレッシングルームのボードには、「裏切り者」という文字の横にピケの名前が踊っていたという。
 

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