【日本代表 26の肖像|田中碧】ドイツ2部で愚直に自己研鑽。24歳の努力家がカタールで輝く可能性は大いにある

2022年11月13日 元川悦子

「東京五輪なんて想像もできなかった」状態から飛躍

19年からの爆発的成長で、五輪に続き、W杯行きも叶えた田中。新世代の頭脳派ボランチだ。。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

 いよいよ開幕が迫るカタール・ワールドカップ。森保一監督が率いる日本代表は、いかなる戦いを見せるか。ベスト8以上を目ざすサムライブルー、26の肖像。今回はMF田中碧(デュッセルドルフ)だ。

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「僕のポジションで言えば『AとB』という形でしょうし、それはしょうがない。(カタール・)ワールドカップのメンバーに入って、試合に出られないで終わるとしても、それでいい。僕もそれなりの覚悟はできているんで。ただ、後は見とけよと。それしかないです」

 9月のエクアドル戦。W杯アジア最終予選をけん引してきた田中碧は悔しさを爆発させた。

 2試合が組まれた9月シリーズでは、遠藤航(シュツットガルト)と守田英正(スポルティング)の主力ボランチが最初のアメリカ戦に先発し、自身は不慣れな柴崎岳(レガネス)とプレー。際立つ活躍を見せられたとは言えず、不完全燃焼を覚えた。目下、彼は本番での巻き返しに燃えている。
 
 そんななか、遠藤が脳震とうに見舞われ、不透明な状況に陥った。最終予選で崖っぷちに立たされた2021年10月のオーストラリア戦で先発に抜擢され、値千金の先制弾を叩き出し、チームの流れをガラリと変えた時のように、田中はカタールで再び日本の起爆剤になるかもしれないのだ。

 川崎フロンターレ時代の偉大な先輩・中村憲剛氏の系譜を継ぐ頭脳派ボランチは、同い年の堂安律(フライブルク)、冨安健洋(アーセナル)と共に、14年のU-16アジア選手権に参戦。早い時期から才能を評価されていた。

 だが、17年のトップ昇格後は分厚い中盤の壁に阻まれ、出番を得られない日々が続く。森保ジャパン発足の18年7月は、まだJ1先発出場すら果たせていなかった時期。「東京五輪なんて想像もできなかった」という。

 流れが大きく変わったのが19年。川崎で定位置を確保し、U-22代表でも台頭。同年12月の E-1選手権でA代表デビューと一気に階段を駆け上がる。Jリーグのベストヤングプレーヤー賞も受賞し、田中は「東京五輪世代の主軸ボランチ」の地位を固めていく。
 

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