G大阪史上最高の助っ人と断言できる。チームを救ったブラジル人はパトリックだけだった【番記者コラム】

2022年11月10日 下薗昌記

「僕は絶対に諦めることのないメンタリティを持っている」

14年には3冠(J1、リーグカップ、天皇杯)に貢献したパトリック(写真中央)。宇佐美(39番)との抜群のコンビネーションでゴールを量産した。(C)SOCCER DIGEST

 悲願だったクラブ初タイトルに貢献したアラウージョ、シュート精度がずば抜けていた元セレソンのマグノ・アウベス、アジア初制覇に貢献した人格者のルーカス……。過去、様々なブラジル人選手が、ガンバ大阪の歴史にその名を刻み込んできた。

 しかし、長年G大阪を追い続けてきた筆者の私見ではあるものの、クラブ史上最高の助っ人は、パトリックだと自信を持って断言できる。

 過去タイトル獲得に貢献したブラジル人は数多くいたが、残留争いでもチームを救ったのはパトリックのみである。

 2014年の三冠達成の原動力になっただけでなく、昨季と今季は2年連続でチーム最多スコアラーとして残留に貢献。その印象的なゴールの数々がなければ、G大阪はすでに昨年、2度目のJ2降格を余儀なくされていてもおかしくなかったのだ。
 
 アラウージョやルーカスらのように際立った技術を持つどころか、14年の加入当初、練習で一緒にボールを蹴った宇佐美貴史は「最初のパス練習の時、まともにボールが足に当たってなくて、コイツ素人かと思った」と当時、率直な言葉を口にしたことがあるが、35歳を迎えた現在でも技巧派とはお世辞にも言えないプレースタイルであるのは間違いない。

 強靭なフィジカルを生かした強みは、いまさら言及するまでもないだろう。ただ、母国ブラジルでメインストリームを歩んでこなかったパトリックだからこそ持つ強みは「僕は絶対に諦めることのないメンタリティを持っている。展開がどんなに難しくても、絶対に勝つことを諦めないね」と公言する心の強さである。

 そんなパトリックの真骨頂が発揮されたのは14年の三冠イヤーで最初の栄冠となったルヴァンカップ(当時はナビスコカップ)決勝戦。サンフレッチェ広島相手に前半だけで2点を追いかける絶体絶命の状況にも、まったく顔色を変えることなく、2ゴールを叩き込んで逆転優勝への足がかりを作ったのだ。

「『ナビスコを勝ててなかったら、たぶんひとつもタイトルを獲れてなかっただろうな』と健太さんもあとに言っていた」と宇佐美は語ったことがあるが、パトリックの追撃弾が三冠への呼び水となったのだ。
 

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