柏の光と影の全てを見てきた大谷秀和。「ミスター・レイソル」と呼ぶに相応しい“やりきった”キャリアを振り返る

2022年11月06日 鈴木潤

ボランチ転向はプロ加入後

レイソル一筋でプロ20年のキャリアを終えた大谷。タイトル獲得も、降格も経験。クラブの歴史に、その名を深く刻み込んだ。写真:滝川敏之

 セレモニーを終え、引退会見に臨んだ表情は終始晴れやかだった。

 20年の間には、やり残したことや、到達できなかった目標はあったのかもしれない。ただ、プロとしてサッカーと真摯に向き合い、試合はもちろん日々の練習から常に全力でプレーをしてきた。

 その点においては、間違いなく"やりきった"のだと思う。会見でも「引退すると決めてからチームメイトと話をして、引退をサポーターに伝えて、僕の中で勝手にスッキリしていた」と心情を述べていた。

 Jリーグが開幕した1993年。社会現象にもなったあの熱狂を、大谷秀和は小学3年生で迎える。その2年前に、すでに地元の少年団でサッカーを始めていた彼も、サッカー少年の例に漏れることなく、三浦知良、ラモス瑠偉、井原正巳といった当時のスター選手への憧を抱いていた。

 同時に、近隣に柏レイソルというプロサッカークラブがあることを知ったのもその頃だった。試合観戦をはじめ、柏のファン感謝デーに足を運んだこともあった。当時のキャプテン・飯田正吾のサインカードを手に入れ、PKゲームで貰った黄色と黒のコインケースを大切に使っていた。
 
 小学5年生の時、全日本少年サッカー大会で柏U-12の優勝を目の当たりにし、「自分もレベルの高いチームでプレーがしたい」と強く意識するようになった。翌年のセレクションを通過し、1997年から柏アカデミーに加入した大谷は、以来26年間、一貫して黄色のユニホームを着続けていく。

 U-18まではトップ下を務め、主に攻撃的な役割を担っていた大谷のボランチ転向はプロ加入後である。彼自身、「ユースの時までは『守備って何?』という選手だった」とプロ入り前のプレーを振り返っているが、そんな大谷にとって良きお手本となったのが、アカデミーの大先輩でもある明神智和だった。

 プロ2年目以降に明神とダブルボランチを組む試合が増えていくと、大谷は守備面を含め、味方を助ける数々のプレーを学び、サッカー選手としての幅を広げていった。

 サッカーの醍醐味である得点や、派手なプレーで観衆を沸かせるわけではない。だが、優れた技術と卓越した戦術眼、状況判断の良さと的確な予測、そして俯瞰してサッカーを見る視野の広さという自らの特長を駆使し、中盤でチームのバランスを取り続けた。だからこそ歴代の全監督から重宝され、常に主力選手としてプレーしてきた。

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