W杯落選も、原口元気所属のウニオン・ベルリンが“レスター”を想起させる快進撃! 10年前、練習場のシャワーで温水が出なかったチームがなぜ…【現地発】

2022年11月03日 中野吉之伴

12節終了時点で絶対王者バイエルンを抑えての首位

途中出場が多いものの、チームの躍進を陰で支えている原口。(C)Getty Images

 日本代表のワールドカップメンバーから外れてしまったウニオン・ベルリンのMF原口元気。ただ、チームは好調で、プレミアリーグで奇跡的な優勝を果たしたレスターを想起させるような快進撃を続けている。

 12節終了時点で絶対王者バイエルンを抑えての首位。今節ボルシアMG戦では相手に1点を許す苦しい展開ながら、終盤に同点に追いつくだけではなく、アディショナルタイム7分に逆転ゴールを上げるなど、まさに神がかった勝点の重ね方をしている。

 59分から出場した原口は攻守のバランスをみながら中盤でボールを落ち着けたり、タイミングを見計らってゴール前へ出没したりと、好プレーの連続でこの逆転劇に貢献。レギュラー争いでのアピールでプラスポイントを獲得した。
 
 それにしても、だ。1部にクラブ史上初めて昇格したのはわずか4シーズン前の2019年。18-19シーズンに2部3位で終えたウニオンは、1部16位のシュツットガルトとの入れ替え戦を制し、悲願の1部リーグ昇格を果たした。

 そんなウニオンにとって初挑戦となるブンデスリーガでの戦いが、まさかここまで右肩上がりに発展することを予想できた人など誰一人としていないだろう。1部残留だけでも快挙なのに、なんと2年連続でヨーロッパリーグへ出場。当事者たちでさえ驚いている。

 監督のウルス・フィッシャーは「ウニオンがなしえ、起こしているのは信じられないことばかりだ」といつも絶賛を口にしているが、それこそ5年前に今の状況を誰が予測できただろうか。

 内田篤人がいたこともある。あれは17-18シーズンの2部リーグだった。このシーズンは序盤から上手く調子に乗れず、当時監督を務めていたイェンス・ケラーが途中で解任。冬の移籍で内田は鹿島アントラーズへと去り、ウニオンは最終的に8位で終えている。

 出会いと別れの背景はそれぞれだ。翌シーズン、フィッシャー監督の就任とともに全てが好転しだしたことを考えると、あと1シーズンずれていたら内田とともに昇格という物語もあったのだろうか。それはだれにもわからない。

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