【柏番記者|追悼コラム】居残り練習に明け暮れていた工藤壮人。努力でエースの称号を勝ち取っても、“最高の第一印象”を見せた16年前から人間性は変わらなかった

2022年10月26日 鈴木潤

取材の最後に両手をこちらに差し伸べ――

2013年のリーグカップ優勝後、サッカーダイジェストのインタビューに応えてくれた工藤壮人さん。屈託のない笑顔を見せてくれた。(C)SOCCER DIGEST

 2004年、柏U-15はナイキプレミアカップジャパンを制し、世界大会であるマンチェスター・ユナテッド・プレミアカップへの出場権を手にした。国内大会であるナイキプレミアカップジャパンの年齢制限は14歳以下のため、中心メンバーは当時の中学2年生たちだった。

 しかしマンチェスター・ユナイテッド・プレミアカップでは年齢制限が1歳引き上げられ、15歳以下となる。中学3年生が対象になることで、押し出される形で世界大会の遠征メンバーから漏れる選手も出てきた。工藤壮人は、そのメンバー外になったひとりだった。

「自分たちが勝ち取った出場権なのに、なぜ自分が出られないんだ」

 工藤は涙ながらにアカデミーのコーチに訴えたという。

 ただ、世界大会に出場したメンバーたちは帰国後、工藤の変貌ぶりに驚かされた。同じくメンバー外となった指宿洋史、畑田真輝とともに、悔しさを噛み締めながら日本に残って練習に励んだ工藤は、この出来事を契機に柏U-15の"絶対的エース"の称号を手にしていく。
 
 私が工藤のプレーを初めて見たのは、彼がU-15にいたちょうどその頃である。そして初めて言葉を交わしたのは、それから1、2年後、柏U-18が出場した関東クラブユース選手権だと記憶している。

 得点を決めた殊勲者として、工藤に声をかけた。礼儀正しく、こちらの質問に対してハキハキと答えた彼は、取材の最後に両手をこちらに差し伸べ、握手を交わし、「ありがとうございました!」と言って深々と頭を下げた。これ以上ない最高の第一印象だった。
 
 2007年12月24日、Jユースカップ決勝。工藤が挙げた反撃の一撃も実らず、柏U-18は1−2でFC東京U-18に敗れ優勝を逃した。人目を憚らず工藤は涙を流した。後にも先にも、私があそこまで涙を流す彼を見たのはこの一度きり。もちろん試合に負け、準優勝に終わった悔しさもあっただろうが、それ以上にジュニア時代からともに戦ってきた1学年上の仲間を「勝って送り出せなかった」という思いが大粒の涙に変わった。
 
 2008年8月1日、日本クラブユース選手権準決勝。宇佐美貴史擁するG大阪ユースとの拮抗した勝負に決着をつけたのは、CKからファーサイドに飛び込んだ工藤の得点だった。高校3年生にとっては進路を左右する重要な時期である。この得点はチームを決勝に導いただけでなく、自分自身のトップチーム昇格を勝ち取る大きな一撃でもあった。
 
 ピッチ外での振る舞い、礼儀正しさ、仲間を思いやる気持ち、悔しさを原動力に努力を積み重ねる強さ、そして大一番でこそ発揮されるエースとしての輝き。それらはすでにアカデミー時代には備わっていた工藤の長所と魅力である。

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