【名古屋】自責の守護神・楢﨑正剛――成長を促し続けてきた“過剰すぎる”責任感

2015年10月05日 今井雄一朗

追い続ける理想の姿は、「チームを勝たせるGK」

柏戦でJ1通算600試合出場を達成。95年8月にデビューを飾ってから20年を経て、偉大な記録を打ち立てた。写真:田中研治

 第2ステージ・13節の柏戦で、前人未到のJ1通算600試合出場を果たしたGK楢﨑正剛。そんな偉大なる守護神を形作る要素は、奇しくも600試合出場達成を前に歴戦の名将が見事に言い表わしていた。
 
「GKはついつい失点を人のせいにしてしまいがちなポジション。しかし、アイツは過剰に自分ですべての責任を負ってしまうところがある。失点した瞬間、DFを怒るGKは多いが、ナラは自分の責任と感じて自分を修正して、それから周りの修正を促していく。どんなにコンディションが万全でも失点を食らってしまうことがあるポジションで、それは自分の責任にしてしまってはものすごいストレスなんですよ」(西野朗監督)。
 
 そう、楢﨑は言うなれば、"自責の守護神"なのである。
 
 楢﨑の口癖は「もうちょっとなんとかできたと思う」である。どんなスーパーなシュートでも止める余地があったと常に考え、常に修正を試みながら日々を過ごしている。たとえチームのパフォーマンスが悪くても、自分がシュートを止め続けることで勝機が舞い込むと信じて疑わない。攻撃に参加することはまったくと言っていいほどないポジションだが、「チームを勝たせるGKになりたい」というのが今も追い続ける理想の姿だ。
 
 だが、自分が出れば試合に勝たせられるというエゴイスティックな思考回路はない。あるのは自らの実力に対する強い自負だけで、それゆえ逆説的な考え方がそこに生じるのが面白いところだ。過去、毎年のようにシーズン前後や途中で負傷を繰り返していた時期、こんなことを言っていた。
 
「監督の『今日はこのメンバーでいこう』というチョイスに入るのは大事なんですよ。ケガをしてるから使えない、と作戦盤上から1番のマグネットが外に出されてしまうのは……。使い物にならないというのはね。怪我をしている時にはそういう申し訳なさもある。駒が揃ってこそ、監督はいろんな選択肢を選べる。これだけの試合しかでけへんなってなったらかわいそうやし、そういう責任感はあるんですよ」
 
 まさに自責の念から出た言葉である。ゆえに楢﨑は試合に出場できる状態を維持することに固執してきた。もはや持病ともいえる膝の負傷は、39歳を迎える今季にかけても「ちょっとスッキリさせたい」と手術し万全を期した。シーズン途中の負傷はドクターの出した全治の診断よりも必ず速く復帰してくる。時に指揮官がストップをかけなければ、ケガをおして練習参加しようとすることが今でもあるぐらいだ。

次ページ600試合はあくまで通過点。貪欲さを失わず、先を見据える。

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