「子どもと高校生くらいの差を感じた」増嶋竜也に海外挑戦を諦めさせた若き日のネイマールとのマッチアップ。今後の目標は…

2022年08月13日 サッカーダイジェストWeb編集部

「ファウルもできなかった。触れなかった」

一番自信があった柏時代でもネイマールには通用しなかったと振り返った増嶋氏。写真:滝川敏之

 柏レイソルやジェフユナイテッド千葉などでDFとして活躍した増嶋竜也氏が、元日本代表MF鈴木啓太氏のYouTubeチャンネルにゲスト出演し、Jリーガー時代や今後の目標について語った。

 増嶋氏は市立船橋高を卒業後、2004年にFC東京に入団。思うような結果を出せなかったが、07年に移籍したヴァンフォーレ甲府と08年から在籍した京都サンガF.C.ではレギュラーの座を確保した。

 2011年には前年にJ2で優勝した柏レイソルに移籍。「地元に愛されるチームにしたい。千葉出身の選手を集めたい」とオファーを受け、入団を決意する。

 今も柏で指揮を執るネルシーニョ監督は、「勝負師。それまで経験したことがない感覚」「練習がすべてという感じで、どれだけ試合で結果を出しても練習をちゃんとやっていないと試合に出さないタイプ」。そのため、サブのメンバーのモチベーションが下がることがなく、練習は"バチバチ"だったという。

 J1復帰初年度でいきなり優勝を果たした柏。鈴木氏が当時の雰囲気をたずねると、「勝つ勢いがあった。外国人と日本人がすごくフィットしていた」と回想した。

 そして、同年12月には開催国枠でクラブ・ワールドカップに出場。この大会で、サッカー人生を左右する戦いが待っていた。
 
 準決勝のサントス戦(●1-3)で、当時19歳ですでにブラジル代表に選ばれていたネイマールとマッチアップする機会があった。増嶋氏にとっては、一番自信があった時期で海外移籍も考えていた。ところが、後にスターとなるアタッカーには全く歯が立たたなかった。

「子どもと高校生くらいの差を感じた。その時に、海外に挑戦するのをやめようと思った。ファウルもできなかった。触れなかった」

 その後、仙台と千葉に在籍し2020年に引退。翌年には、自ら願い出て母校の市立船橋でコーチとなり、指導者の道に入った。現在は週4、5回の頻度で練習に参加し、試合にも同行。週1日は増嶋氏がメインで練習を行ない、セットプレーは一任されているという。

 指導の楽しさを感じたという増嶋氏。鈴木氏に今後の目標を問われると、「Jリーグのコーチ・監督を目ざしてがんばります」と力強く答えた。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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