「単純にプレーヤーとしてダメだった」中学時代に一度サッカーを離れた中村憲剛がJリーガーになるまで。プロを意識したのは…

2022年08月11日 サッカーダイジェストWeb編集部

「ちょっとずつ慣れてくる。定期的に戦っていくと」

松井のYoutubeチャンネルで中村氏が自らの学生時代を語った。写真:滝川敏之

 Y.S.C.C.横浜所属の元日本代表MF松井大輔が8月10日、自身のYouTubeチャンネルで最新コンテンツを公開。川崎フロンターレのバンディエラで元日本代表MFの中村憲剛氏が出演し、自身の学生時代を振り返っている。

 中村氏がサッカーを始めたのは、小学1年生の頃。所属した府ロクサッカークラブには、2学年上に元なでしこジャパンの澤穂希氏がいた。当時中村氏は目立つ存在ではなかったようで、中学時代には「全然うまくいかなくて。背が小さかったり。単純にプレーヤーとしてダメだった」という理由で半年間サッカーから離れる。推薦の話はなく、高校は一般入試で東久留米高(現・東久留米総合高)に入った。

 卒業後は中央大に進む。入学時はJリーガーになれるとは全く思っていなかった中村氏だが、Jリーグとの練習試合で少しずつ意識し始める。1年生の頃から練習試合に出場し、最初は通用せず怖かったほどだったというが、徐々に変化が訪れる。
 
「ちょっとずつ慣れてくる。定期的に戦っていくと、やれるようになってくる。『何かやれそうだな』って思ったのが、4年生になる頃くらい。年代的にも、相手が高卒だったり。3年生になると、ぼくは20歳を超えているから。年下とやることもあって。余裕や慣れも出てきて。進路相談でJリーグにチャレンジしたいといったのが、4年生の始め」

 川崎入団のきっかけは、4年生6月の練習参加だった。期間は2日間。松井は「2日間だけ?それで見てくれってことですか?」と驚いた様子。中村氏は自身を「本命の選手じゃなかった。言われて見るみたいな感じだったと思う」と振り返る。それでも、「ちょっと爪痕を残して、おもしろいねってなって」とアピールに成功した。

 見事、フロンターレ入団を勝ち取った中村氏。川崎一筋18年の"レジェンド"は、日本独自の大学サッカーでの経験によってプロへの道をひらいた。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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