序列は4~5番手のGKがインハイ予選で大奮闘! 新潟明訓・中山光貴の自負と感謝「みんなの思いを絶対に裏切ってはいけない」

2022年06月29日 安藤隆人

「とにかく明訓でサッカーがしたかった」

インハイ新潟県予選で、新潟明訓の“正守護神”として奮闘した中山。決勝は0-1で悔しい敗戦も、大会を通じて好守を連発した。写真:安藤隆人

 少し前の話になるが、インターハイ新潟県予選を取材していて、驚くべきことがあった。

 石川慧(G大阪)、中村亮太郎(鹿島)、関口正大(甲府)、落合毅人(法政大、清水内定)を輩出する新潟明訓は、準決勝で日本文理を相手に1−0で競り勝って、県予選無失点で決勝進出を果たした。

 決勝では、選手権2年連続ベスト4の全国屈指の強豪で知られる帝京長岡と激突。これも大熱戦となり、0−0で勝負は延長戦までもつれ込んだ。だが延長後半にセットプレーから今大会初失点を喫し、0−1で惜敗した。

 この大会で活躍を見せたのが新潟明訓のGK中山光貴だった。準決勝では二度の決定機をビッグセーブで阻み、決勝でも帝京長岡の猛攻に合うなかで、実に三度の決定機でビッグセーブを披露した。

 まさに新潟明訓にとって今大会準優勝の原動力となった守護神だが、実は中山はチームにおいて『4、5番手のGK』だったことに大きな驚きを覚えた。

 今年、新潟明訓には5人のGKがいる。1番手の石塚天は3年でアルビレックス新潟U-15出身、2番手の本間巧真は2年生で新潟の名門クラブであるグランセナU-15出身。3番手の3年生・菊地紘希と、中山と4番手を争う2年生の鬼丸隼は新潟明訓の下部組織にあたるROUSE新潟FCジュニアユース出身。唯一、中山だけが新潟市内の中体連出身のGKだった。

 中学時代は2年生からレギュラーとなったが、チームは県大会にすら進めず。一度も県大会を経験することなく、中山は新潟の名門校の門を叩いたのだった。

「選手権などで明訓を見て育って憧れがありました。サッカーをする環境も整っているし、スタッフも素晴らしいなと思って、試合に出られる、出られないは一切考えないで、とにかく明訓でサッカーがしたいという思いで入りました」
 
 入ってみると、ほぼ無名でこれといった実績もない中山はGKの中で一番下からのスタートだった。その序列は2年になっても一切変わらず、Bチーム(新潟明訓はAチーム、Bチームの2カテゴリーしかない)の練習試合でも常に3本目の出場だった。しかし、そのなかでもう1つ、一切変わらなかったものがあった。それは彼のサッカーに対する真摯な姿勢だ。

「他の選手と比べて、圧倒的に今までの経験の差を痛感して、もう試合に出られないなと思った」こともあったが、中山の心は折れるどころか、さらに熱を帯びていった。

「サッカーをやめようとか、つまらないとか、嫌だという気持ちには一切ならなかった。なぜかというと、僕は中学時代までサッカーの技術面や考えをあまり教わってこなかったんです。でも高校に入ったら監督やコーチだけでなく、先輩や同級生、後輩も僕にいろんな技術や発想を教えてくれる。それを人工芝ピッチでちゃんとしたボールなどが揃った環境と、最高の仲間とともに練習することができるんですよ。

 僕にとってこんなに楽しくて、最高な環境は他にないんです。だからこそ、常に全力で取り組むことでどんどん技術や考え方を吸収していきたいんです。僕にとって1分たりとも無駄にする時間はありませんし、何より毎日が楽しんです」
 

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