【消えた逸材】「イスタンブールの奇跡」の端緒を開く!いまなおリバプール・ファンの心を熱くさせる男の現在は?

2022年06月04日 ワールドサッカーダイジェスト編集部

2001年のU-17世界選手権のMVP&得点王

04-05シーズンのCLグループステージ突破が懸かった一戦で輝いたシナマ=ポンゴル。(C)Getty Images

フロラン・シナマ=ポンゴル(FW/元フランス代表)
■生年月日/1984年10月20日
■身長・体重/176センチ・69キロ(現役当時)


 リバプールのサポーターにとっては記憶に残るヒーローだ。あのゴールは、いまでも彼らの心を熱くする。

 2004-05シーズンのチャンピオンズ・リーグ(CL)、グループステージ最終戦のオリンピアコス戦だ。16強進出には2点差以上の勝利が必要なリバプールは、先制を許し0-1で前半を折り返す。この窮地を救ったのが、後半頭から投入された20歳のフロラン・シナマ=ポンゴルだった。ピッチに立ってわずか2分後、ハリー・キューウェルの折り返しにニアサイドで合わせ、同点のネットを揺らす。

 これで攻勢に転じたリバプールは1点を勝ち越し、迎えた86分、スティーブン・ジェラードのキャノン砲が炸裂して勝ち上がりを決めると、運命に導かれるように決勝へと駒を進め、ミランを大逆転で下す「イスタンブールの奇跡」で劇的な欧州制覇を果たすのだ。その端緒を開いたのが、あの同点弾だった。

 もっとも、アンフィールドに残した足跡はこの一発だけだ。公式戦65試合の出場で9ゴールは、16歳で契約を結び、18歳で加入した逸材にとって、期待を大きく裏切る結果でしかない。
 
 インド洋に浮かぶフランスの海外県、レユニオン島で生まれたシナマ=ポンゴルが最初に脚光を浴びたのは、01年のU-17世界選手権(現U-17ワールドカップ)だった。6試合で9ゴールを挙げてフランスを優勝に導き、大会MVPに得点王と個人賞を独占した。スピーティーな突破と決定力を存分に発揮し、アメリカ戦と日本戦でハットトリックを決め、決勝では先制点を奪うなど、強烈なインパクトを放った。

 大会後に決まったのがリバプール移籍だった。2年間はレンタルでル・アーブルにそのまま残り、03年夏に加入することで話はまとまった。この時、一緒に移籍したのがアントニー・ル・タレクだ。いとこでもあるル・タレクとはル・アーブルとフランスU-17代表でもコンビを組み、猛威を振るった。

 同胞のジェラール・ウリエ監督のもと、フランス語圏の選手が数多く在籍する当時のチームは、フランスの若き才能にとって理想的な環境だった。しかし、すぐに転機が訪れる。03-04シーズン終了後、ウリエが成績不振で退陣し、スペイン人のラファエル・ベニテスが取って代わったのだ。

 これを機に"スペイン化"が進行し、フェルナンド・モリエンテス、ピーター・クラウチという基準点型のCFを好むベニテスの志向もあり、セカンドトップ型のフランス人は次第に脇に追いやられ、不慣れなサイドでの起用にも苦しんだ。あの伝説の同点弾はベニテスの1年目だが、CL決勝はベンチに入れず、イスタンブールの奇跡は傍観するしかなかった。

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