発足から3年半、森保Jは苦闘の経験をW杯イヤーにどう生かす? 波乱の船出、批判を呼んだアジアでの惨敗…

2022年01月14日 元川悦子

W杯最終予選再開へ――森保ジャパンの3年半を振り返る【前編】

南野(写真)、中島、堂安の「三銃士」が台頭してスタートを切った森保ジャパン。その後は苦闘の連続に……。写真:サッカーダイジェスト

 1月27日と2月1日の2022年カタール・ワールドカップ(W杯)アジア最終予選・中国&サウジアラビア2連戦(埼玉)に向け、森保一監督率いる日本代表が17日から再始動する。

 今回は国内組のコンディション調整に主眼を置いたウズベキスタン戦(埼玉)を21日に実施予定だったが、新型コロナのオミクロン株拡大でキャンセルが決定。トレーニングのみになってしまった。オフ明けの長友佑都(FC東京)、大迫勇也(神戸)、酒井宏樹(浦和)らに実戦感覚を取り戻させるとともに、選手層拡大を図ろうという森保一監督の思惑通りにはならない見込みだ。

【画像】森保ジャパン初陣、2018年コスタリカ戦の招集メンバー22名
 欧州組の方もアクシデントが続いている。キャプテン・吉田麻也(サンプドリア)が右太ももを負傷。予選参戦が困難になった。すでにケガで離脱中の古橋亨梧(セルティック)、三笘薫(サン・ジロワーズ)らの状態も不透明だし、伊東純也(ゲンク)や板倉滉(シャルケ)らコロナ陽性者の回復具合も気になるところ。久保建英(マジョルカ)が8日のレバンテ戦で公式戦フル出場を果たしたのは朗報だが、チーム全体として不安山積なのは確かだ。

 改めて考えると、森保ジャパンは歴代代表チームの中でも想定外の出来事が突出して多い。思い起こせば、新体制初陣になるはずだった2018年9月のチリ戦(札幌)も地震で中止となり、暗雲が垂れ込めるスタートを強いられた。同年11月のベネズエラ戦(大分)では選手バスが大渋滞に巻き込まれ、スタジアム到着が試合開始直前になるという出来事もあった。堂安律(PSV)、南野拓実(リバプール)、中島翔哉(ポルティモネンセ)の「三銃士」が凄まじい攻撃の推進力を見せ、冨安も急成長するなど、若い力の躍進は見て取れたが、そのまま順調にいくとは言い切れない部分があった。

 その厳しい事実を象徴したのが、2019年アジアカップ(UAE)だ。当時背番号10を背負っていた中島がケガで辞退し、エース大迫も初戦で負傷すると、攻撃陣がノッキングを起こしたのだ。冨安は吉田をしのぐほどの安定感を見せ、長友に「これで19歳とは思えない」と絶賛されたが、強固な守備だけではアジアタイトルは取れず、決勝でカタールに敗れて準優勝。チームは最初の壁にぶつかった。
 

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