三笘薫の逸話。劣等感にも似た感情が支えた成長

2021年08月31日 江藤高志

今では「笘」の字を即座に指摘される

筑波大在籍中の2019年に、特別指定選手としてルヴァンカップでデビュー。アカデミーの先輩、脇坂と写真に収まった。(C)SOCCER DIGEST

 川崎での活躍を経て今夏にイングランド1部のブライトンへ完全移籍し、1年目はレンタルでベルギーのロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズでプレーする三笘薫。欧州デビューも近づいている。川崎のアカデミーで育ち、筑波大で力を養い、昨季、プロ1年目でブレイクした彼は、改めてどんな道を歩んできたのか。海外で、そして今後の日本代表での躍動が期待されるドリブラーのキャリアを、近くで取材してきたライターに振り返ってもらうコラム。ここでは川崎のアカデミー時代のエピソードを紹介する。

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「三苫薫」の名前を初めて原稿で書いたのは三笘薫が小6の時だった。当時川崎U-12所属の三笘はキャプテンとして2009年8月に開催された第33回全日本少年サッカー大会(全小)に臨んでおり、名古屋U-12との準決勝の原稿を書かせてもらった。

 点を取り合い2−2で突入したPK戦は5人ずつが決めてサドンデスに入るが、後攻・川崎の6人目が外して試合終了。敗れて泣き崩れる川崎の選手を、名古屋の選手たちが励ます姿は感動的で、のちに教科書に載るエピソードにもなっている。

「成長の余地」というタイトルのこの原稿のなかで引用した当時の三笘のコメントは以下のようなものだった。

「狭いところでサイドを使わないとか、流れを掴む戦略とか、試合のなかで声を掛け合って戦術を作っていきたい。それを試合の中で自分たちで解決できてないのは問題だと思います」

 小6の少年が敗戦直後にこれだけの話をしていたことに驚かされるが、当時から川崎U-12は異彩を放っていた。今でこそ当たり前だが選手間で活発に意見をぶつけ合い、試合や練習に取り組んでいた。それは言葉を大事にする指導を受けていたから。感情を抜きにしっかりと議論ができるチームだった。

 アカデミーで鍛えられた三笘は15年にトップチームの宮崎合宿に、ユースの新3年生として岸晃司、長谷川隼とともに参加。高い技術と柔らかいドリブルで存在感を示し、合宿最終日の宮崎産業経営大学との練習試合ではループシュートで1ゴールを決めてもいる。

 筑波大に進学後、20年の加入が内定した18年に続き、川崎の特別強化指定選手となった19年のルヴァンカップ準々決勝第2戦でプロデビュー。第1戦に途中出場した名古屋の杉森考起は冒頭に記した名古屋U-12の一員として三笘と対戦したひとりだった。
 
 第1戦と第2戦とで入れ違いになった杉森とのニアミスについて、第1戦の試合後に三笘に聞くと「全小以来やってないです。向こうが出たので、出たかったですね」と悔しそうだった。

 その杉森は今季徳島でプレーしており、29節で同時にピッチに立てるかどうかは個人的な楽しみだ。

 冒頭「苫」の字を間違えているが、09年の初原稿時から15年の合宿の原稿で指摘されるまでずっと「笘」の字を「苫」と間違え続けてきた。川崎公式サイトに掲載された原稿でも指摘されなかったが、今では即座に指摘される状況だ。

 それは三笘の努力の結果だった。彼への取材のなかで感じたのは自己肯定感の低さ。劣等感にも似たその感情をもとに三笘は技術を磨き、自らの道を切り開いてきた。そんな三笘の未来にはどんな景色が広がっているのだろうか。

※サッカーダイジェスト6月10日号からの転載。

取材・文●江藤高志(川崎フットボールアディクト)
 
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