三笘薫の逸話。大学生活で窺えた“焦り”と“危機感”

2021年08月30日 サッカーダイジェスト編集部

大学4年間を“モラトリアム期間”として活用

筑波大で多くの経験を得た三笘。4年間で大きく成長した。(C)SOCCER DIGEST

 川崎での活躍を経て今夏にイングランド1部のブライトンへ完全移籍し、1年目はレンタルでベルギーのロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズでプレーする三笘薫。欧州デビューも近づいている。川崎のアカデミーで育ち、筑波大で力を養い、昨季、プロ1年目でブレイクした彼は、改めてどんな道を歩んできたのか。海外で、そして今後の日本代表での躍動が期待されるドリブラーのキャリアを、近くで取材してきたライターに振り返ってもらうコラム。ここでは大学時代のエピソードを紹介する。

――◆――◆――

 印象的な活躍を見せたプロでの活躍と比べると、大学4年間のスタートはごく静かなものだった。

 1年次のリーグ戦は22試合中13試合に出場し、0得点。当時からスルリと抜け出すドリブルで才能の片鱗を見せたが、1年生ながら21試合で9得点を挙げた旗手怜央(現・川崎)に比べるとやや印象が薄い。

 しかし2年生になると、様々な面で三笘の才能が評価され始める。技術の高さと唯一無二のドリブルで、大学サッカー界では知られる存在となり、周知のとおり(2017年の)天皇杯の仙台戦で2ゴールを決めて"三笘薫"の名を知らしめた。以降は大学選抜のみならず、東京五輪代表のベースとなる世代別代表にも招集されることになる。

 代表ではいくつかの印象的なプレーを見せ、3年次には古巣の川崎への内定も決まった。大学生活は順調そのものに見えたが、この頃の三笘に見えたのは"焦り"だ。

 当時のコメントで繰り返されたのは「もっとハードワークをしないと」という言葉。自身の技術には十分な自信をもっていたが、「それ以前の問題。プロではハードワークしなければ試合に出られない」と話している。
 
 もともと大学を選んだのは、弱点だと感じていたフィジカルの強化を考えてのこと。大学生活も残り1年半となった時点で「フィジカル面での到達度」を聞くと、返ってきた答は「60パーセント」。「身体の大きさも、体力も、スピードも、もっと上げないと通用しない」と痛切な表情で話した。
 また(2018年に)U-21代表として参加したトゥーロン国際大会、アジア大会では2大会連続で体調を壊し、不完全燃焼に終わった。なにより「大事な時に体調を崩すというイメージをスタッフ陣に与えた」。「危機感しかない」というのが、当時の三笘の言葉だ。同じ大学生で招集された上田綺世(現・鹿島)が結果を出していくなかで、自らにかかる期待が少しずつ小さくなっていると感じていたのかもしれない。

 ただ、そうした焦りや危機感、試合に出たいという渇望、自身の弱点を実感したことが、三笘のような"天才肌"にとっては良い経験になったのかもしれない。

 当時「代表でアピールできたか」という質問に三笘はこう答えた。「自分がいないと、と思わせることができなかった。その面ではアピールできたとは言えない。もっと存在感を出さないと」。
 
 今の三笘はまさに存在感の塊。「三笘がいないと」と思わせるに足る存在であるのは間違いない。そういう意味では、三笘ほど大学4年間を正しく"モラトリアム期間"として活用した選手はいないだろう。

※サッカーダイジェスト6月10日号からの転載。

取材・文●飯嶋玲子(フリーライター)
みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事