遅きに失したベンチワーク…結局森保監督が動いたのはメキシコに3点目を奪われた後だった【東京五輪】

2021年08月07日 加部 究

45分間で2失点の状況に直面しても、まだ指揮官は「馬なり」で追いつくチャンスありと見ていた

メキシコ戦では45分でひとりを交代したものの、次に動いたのは3失点目を喫してから。采配で選手を助けることはできなかった。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部/JMPA代表撮影)

 スコアだけを見れば、準決勝のスペイン戦は惜敗で、メキシコ戦は完敗になる。だが中身は、明らかに真逆だった。スペインとは引っ繰り返すことが出来ない力の差があったが、3位決定戦はベンチの動き方次第ではここまでのワンサイドゲームは避けられた可能性がある。
 
 日本は前半でPKとCKから2点をリードされた。そしてこの2点を追いかける立場に回った日本ベンチの危機意識の希薄さが、そのまま完敗への道を広げてしまった。

 後半開始で森保一監督が切ったカードは、相馬勇紀に代えてそのまま同じポジションに旗手玲央だった。つまり様子見の一手で、まだバランスを重視し、最も攻撃を強化する策は残している。結局45分間で2失点の状況に直面しても、まだ指揮官は「馬なり」で追いつくチャンスありと見ていたことになる。

 だが21世紀に入ってからのメキシコは、こんな時こそ最もしたたかなチームのひとつだ。2点のリードを奪った時点で、日本がボールを持てば素早く9人がリトリートし、グループリーグで対戦した時はアクセントを作ろうとドリブルで仕掛けまくっていたライネスも、自陣深くまで戻って相馬の仕掛けに対応。攻撃時もリスクを避けて早めのクロスに徹していた。各自がゲームの状況に応じて何をするべきかを熟知する狡猾なチームで、実際に58分に3点目を挙げる前後にも3度の決定機を作っている。もし4点目5点目が入れば、そこで試合は終わっていた。要するに日本側ベンチには、そうなってしまう危機意識が決定的に不足していた。

 結局森保監督が次に動いたのは、メキシコが4度の決定機を連ねて3点目を奪った後のことだ。旗手をサイドバック(SB)に移して三笘薫の投入である。確かに三笘はチームに加わってから、J1で見せてきたような痛快に守備網を切り裂くプレーが影を潜めていた。また五輪前のACLでは故障をして戻って来た。だが大爆発して期待値が高まり過ぎた選手が、徐々に大胆さを欠くようになるのはよくある現象で、迷いなく本領を引き出すには指揮官の信頼とサポートが要る。

 例えば1982年ワールドカップでイタリアが優勝を飾っているが、チームを率いるエンツォ・ベアルゾット監督は徹底した誹謗中傷に耐えながら、八百長事件への関与疑惑で長いブランクを作り不振を極めていたパオロ・ロッシを使い続けた。ロッシは開幕から4戦ノーゴールだったが、5試合目のブラジル戦でハットトリックを達成すると、そこから3戦連続ゴールで得点王になった。三笘の能力が替えの利くものだと考えるなら仕方がない。しかし改めて希少価値が高いことは、窮状に際し吹っ切れた自身が証明した。実は誰(どんな才能)に、どこまで信を置くかも、指揮官の重要な才覚だと思う。
 

次ページ最後に遠藤航に代えて三好康児を送り込み4-3-3に変更したのが残り10分。あまりに遅きに失した

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