帝京が10大会ぶりのインターハイ出場! 名門復活へ、指揮官も感謝を示す先輩たちが繋いできた“新たな伝統”

2021年06月20日 松尾祐希

「中学生が『帝京に行きたい』と思うサッカーをしないと…」

帝京が10大会ぶりとなる全国の切符を手にした。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

 9度の全国制覇経験を持つ伝統校・帝京にとって、6月19日は特別な日になった。

 インターハイの東京都予選・準決勝。昨年度の高校サッカー選手権でベスト8に入った堀越に先行を許し、後半5分の時点で2点のビハインドを背負った。しかし、帝京はここから驚異的な粘りを見せる。後半12分にMF山下凛(2年)のゴールで1点差に詰め寄ると、終了間際にCKからCB荻野海生(3年)が値千金の同点弾。勢いに乗った帝京は延長後半3分に途中出場のMF福地亮介(3年)が右足で決勝弾を決め、0-2からの鮮やかな逆転劇でインターハイの出場権を手にした。

 終了のホイッスルが鳴った瞬間、喜びを分かち合った選手たち。その様子をベンチで見守り、安堵の表情を浮かべていた人物がいる。2014年度から指揮官となった日比威監督だ。

 選手権への出場は2008年度を最後に遠ざかっており、インターハイ出場も実に10大会ぶり。「やっと全国の舞台に行ける。スタートラインに立てました」(日比監督)。母校を久々の全国の舞台に導き、日比監督もこの時ばかりはプレッシャーから解放されて勝利の喜びに浸った。
 
 母校を率いて8年目。自身も高校3年次にキャプテンとして1991年度の選手権に出場し、帝京が最後に冬の檜舞台を制した時のメンバーでもある。OB監督として誰よりもプレッシャーを感じていたのは想像に容易く、毎年のように予選敗退を繰り返す中で心が折れそうになったことは一度や二度ではない。監督就任1年目の選手権は、都大会の1回戦でPK負け。翌年以降は選手権予選決勝に4度、インターハイ予選で代表校が決定する準決勝に1度勝ち上がったものの、いずれもあと一歩のところで涙を飲んだ。

 苦難の歴史を振り返り、日比監督はこう話す。

「選手たちの力を伸ばし、育て上げることが大切。だけど、そのためにはうちの学校を選んで貰わないといけない。中学生が『帝京に行きたい』と思うサッカーをしないと、このチームは復活できないと思った。なので、最初の2、3年は我慢をした。縦に速いだけのスタイルからサッカーを変えないといけなかったし、上位を目指しながら縦に速いサッカーだけではなく、ビルドアップやポゼッションのスタイルを取り入れる必要があった。(魅力的なサッカーをして)帝京でプレーしたいと思う選手を増やすために取り組んできたんです」
 

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