「俺はお前を恐れていない」横行する“ネイマール狩り”の責任は誰にあるのか?【現地発】

2021年03月02日 エル・パイス紙

「忘れていたパッションを呼び覚まされる」

2月10日のカーン戦でタックルに見舞われ、約1か月の離脱を余儀なくされたネイマール。 (C) Getty Images

 リーグ・アンでは"ネイマール狩り"が流行っているようだ。ライバルチームの選手たちは、大鎌を構えるように対峙し、ネイマールはまた抜きで対抗する。どこをどう見てもネイマールのほうが分が悪い。

 フットボールにおいて高いテクニックを持つアタッカーは、相手DFを挑発する対象であり続けてきた。それが獰猛なタイプだとなおさら質が悪い。ただ近年は、その傾向が随分収まりつつある。幸運にも気性の荒いDFの数が減り、残念ながら高度なテクニシャンの数も減少した。

 そんななか、ネイマールは無数のパターンの超絶テクニックで敵を次々と抜き去る本物のドリブラーだ。彼のプレーを目の当たりにしていると、われわれは忘れていたパッションを呼び覚まされる。

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 しかし、そのネイマールがこの2月にも、野蛮なタックルに遭い、またも負傷した。責任の所在はどこにあるのか。まずルールを無視して突破を阻止しようとする守備側の選手にその重要な一端があるのは言うまでもない。

 ただ同時にネイマールは、「俺はお前を恐れていない」と言わんばかりにボールをキープする時間をやたらと長くして相手を挑発する行為を改める必要があるだろう。しかし最も責められるべきは、怖がって責任を取ることから避け続けている審判団であることは間違いない。

文●ホルヘ・バルダーノ
翻訳:下村正幸

【著者プロフィール】
ホルヘ・バルダーノ/1955年10月4日、アルゼンチンのロス・パレハス生まれ。現役時代はストライカーとして活躍し、73年にニューウェルズでプロデビューを飾ると、75年にアラベスへ移籍。79~84年までプレーしたサラゴサでの活躍が認められ、84年にはレアル・マドリーへ入団。87年に現役を引退するまでプレーし、ラ・リーガ制覇とUEFAカップ優勝を2度ずつ成し遂げた。75年にデビューを飾ったアルゼンチン代表では、2度のW杯(82年と86年)に出場し、86年のメキシコ大会では優勝に貢献。現役引退後は、テネリフェ、マドリー、バレンシアの監督を歴任。その後はマドリーのSDや副会長を務めた。現在は、『エル・パイス』紙でコラムを執筆しているほか、解説者としても人気を博している。

※『サッカーダイジェストWEB』では日本独占契約に基づいて『エル・パイス』紙に掲載されたバルダーノ氏のコラムを翻訳配信しています。
 
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