【指揮官コラム】チェンマイFC監督 三浦泰年の『情熱地泰』|その言葉に込められた意味を読み取れば…

2015年04月21日 サッカーダイジェスト編集部

世の中を明るくする挨拶だと感じた「サワディーカップ」。

試合前に一人ひとりと握手と挨拶をかわして選手を送り出す三浦監督。スタジアムでは、やはり日常とはまた別の空気感が漂う。写真:佐藤 明(サッカーダイジェスト写真部)

『Sawadee kab(サワディーカップ)』
 
 コラムの始めにもぴったりなタイ語の挨拶。タイではいつでも何処でも両手を合わせて「サワディーカップ」。挨拶はすべてこの言葉なのである。
 
 皆、会えばニコッと笑ってその言葉を掛けてくる。初めのうちは「何カップって言っているのかな? サワリーカップ?」などと周りに訊いたりしていたが、すぐに「サワディーカップ!」という挨拶が普段の生活にも馴染んできた。
 
 でもこれは「おはよう」でも「こんばんは」でもなく、「こんにちは」でも「さようなら」でもない。時間帯に関係なく使われるのが「サワディーカップ」なのだ。
 
 この挨拶をすると、「サワディーカップ」という挨拶と、その後に笑顔が返ってくる。この挨拶をして嫌な顔で答える人はゼロに近い。笑顔にならない人だって、10人にひとりもいないと思う。それだけ世の中を明るくする挨拶だと僕は思った。日本で言えばどんな言葉なんだろう……。
 
 もう終わってしまった伝説の番組「笑っていいとも」の「いいとも~」みたいなものだ。いいともを暗い顔で言う人はあまり見なかったように、タイでは「明日、来てくれるかな?」「サワディーカップ!」というくらい、良い挨拶に感じていた。(使い方違うが……)
 
 挨拶の話で、日本のサッカー界でのこんな話を思い出した。Jリーグのある役員の方と食事をした時の話だ。
 
 その役員の方が、ある選手を指して「あの選手は挨拶ができないだろう!」と言う。海外へ行った時のことらしい。海外でプレーする何人かの選手を訪問した際、その選手は挨拶ができなかったというのだ。いま、海外で長くプレーしている選手との違いはこの「挨拶」だと。
 
 僕は「そうですか……」と話を遠ざけたが、いま時、挨拶ができない人はいないのでは? と思った。なぜなら、サッカー界でも育成年代から挨拶はマナーとして徹底しているからだ。先輩後輩の間柄ではもちろん、目上の人や父兄、サッカー場にいる人、すべての人に挨拶を徹底。相手の前にいって大きな声で一礼して「こんにちは」という姿は、どんな会場でも目にする。
 
 選手時代、アルゼンチンのコーチングスタッフがこの異常なくらいの徹底ぶりに違和感を覚えていたのを記憶している。監督の話をすべての選手が直立不動の姿勢で聞き、「はい」と大きな声で返事をする。そして深くお辞儀をする。高校サッカーチームのことだ。
 
 それを見たアルゼンチン人のスタッフは、「サッカー選手だろ! なんなんだこれは……」と言っていた。そのくらい挨拶は若い頃から言われ続けるもの。挨拶をしないはずがない。僕はそう思っていた。もちろん、サッカー界の話ではなくとも、目の前で「こんにちは」と言われて、答えない人はほとんどいないだろう。

次ページ改めて痛感している言葉の力。

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