【連載】小宮良之の『日本サッカー兵法書』 其の十四「融通無碍の境地」

2015年04月16日 小宮良之

16歳の少年は、ボールをパートナーに踊っているようだった。

少年時代から卓越したプレーを見せていたイニエスタ。相手の動きを読み切り、大人の猛者たちを手玉に取っていた。(写真は19歳当時)(C)Reuters/AFLO

「融通無碍」(考え方や行動に囚われるところがなく、自由であること。また、そのさま)。
 
 そんな高みに到達したフットボーラーを、筆者は一度だけ目にしたことがある。
 
 少年は16歳で、肌が白く、小柄で、優しそうな表情をしていた。大人の猛者たちを相手に立ち回れるとはとても思えなかった。二、三度は相手をたじろがせるスピードやボールテクニックがあったとしても、結局は力でねじ伏せられる、そのはずだった。しかし少年は涼しい顔でボールを運んだ。相手が放つ猛気をすり抜け、ひらりとかわし、むしろ逆手にとって、ゴールにつなげた。何度も何度も――。
 
 彼はボールをパートナーに踊っているようだった。
 
 その子の名前はアンドレス・イニエスタと言い、当時バルセロナのBチームでプレーしていた。
 
「フットボールの声を聞く」
 
 そんな表現で、その場に応じたプレーを出せる選手を称揚することがある。その点、イニエスタは完全に解き放たれていた。判断する、技術を出す、という論理を超え、彼はもっと自然にプレーしていた。相手の動きや狙いは100㌫読み切っていて、その逆を突ける。無心に近い、まさに融通無碍だった。
 
<プレーインテンシティを高め、スピードを上げる。最後は勝者のメンタリティが物を言う!>
 
 それらはフットボールの戦術における定石なのだろう。
 
 しかし、あの時のイニエスタの軽やかな姿を思い出すたび、"そんな戦いの定型に価値はあるのか"と筆者は力が脱けそうになる。
 
「フットボールでは、二度同じプレーは起きない」
 
 これは絶対的鉄則だが、そのロジックで言うなら、どんな動きにも対応できてしまうイニエスタは、誰にも負けることがない。どんな対策を立てようとも、彼はその場に応じた技を発する。少年にして、すでにプレーの無限に出会っていたのだろう。
 
「僕は特別でもなんでもない。落ち着いているなんて錯覚だよ」
 
 その試合後に筆者が話しかけると、16歳のイニエスタはそう言って口の端だけで微笑んだ。
 
「例えば試合中に2本パスをミスして、その夜は寝付こうとしても思い返してしまってね。悔しくて眠れなかった。自分はまだまだそんなもんさ」

次ページ今季のイニエスタは批判の的にもなったが…。

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