【指揮官コラム】チェンマイFC監督 三浦泰年の『情熱地泰』|タイに輸出された日本の「運動会」

2015年04月07日 サッカーダイジェスト編集部

タイの運動会では最下位になるのが分かった時点で走るのを止めてしまう。

「二度目の開幕戦」と位置付けて臨んだ6節のタイホンダ戦。試合前のミーティングの様子。写真:佐藤 明(サッカーダイジェスト写真部)

 ある日、タイのテレビニュースでこんな話を知った。なんと日本の「運動会」がタイに輸出されているというのだ。日本のチームワーク文化を広めるためらしい。
 
「へ~、そうなんだ……」と、その時は思うだけだったが、その後どうなったのかと考えていたら、友人からそのタイの運動会に関する面白いエピソードを聞いた。
 
 日本では徒競走やリレーあるいは長距離走などで、最下位になっている子に対して、観客は最後までよく頑張ったと拍手を贈るけど、タイにはそうした光景はないという。最下位になるのが分かった時点で、その子どもは走るのを止めてしまい、酷い場合には自分の席に帰ってしまうらしい。
 
 それを聞いた昔から運動の苦手な友人は、「その手があったか!」と膝を打った。彼は、結構最下位が多くて拍手をもらう立場だったようだ。
 
 続けてこんなことも言っていた。
「最下位になって拍手をもらう子は、本当は拍手なんか欲しくはないんです。最下位の子にもプライドがあって、本当はカッコ悪いと思っているんです。日本人は、最下位でも最後まで走るものと刷り込まれているので、本当はカッコ悪くて嫌だな、と思っていても最後まで走ってしまうんですね」
 
 友人は、運動会が憂鬱で仕方がなかったらしい。だから、その手があったか!と。最下位になるなと思って席に帰る子も、コンプレックスとその裏返しの変なプライドで席に帰るんだ、と。
 
 だが僕は、この話にすごく違和感を持った。「なるほど!」とも思わないし、人間や社会の本質みたいなものに欠けた話だなと(「たかが子供の運動会の話でしょう」と思われるかもしれないが……)。
 
 もし、日本の運動会に輸出するほどの意味があるのだとしたら、その良さとはなんなのだろう?
 
 僕が運動会から学んだのは、例えば次のようなことだ。
 
 最後まで全力を尽くすこと。皆で協力し、まとまり助け合うこと。運動会を成功させるために練習すること。仲間とともに努力するなかで、また新しい友だちができること。同年代だけでなく、後輩をかわいがる気持ちを持つことで、責任感が生まれること。
 
 さらに、陰で準備をしてくれる人の尊さに気付くこともあるし、運動会の当日には天気も気になる。雨が降って予定されていた競技が中止になったり、運動会そのものが中止になれば自然の理不尽さを知ることになる。
 
 それらを全部ひっくるめて輸出するなら、僕は素晴らしいことだと思う。
 
 もちろん誰しも拍手をされながら最下位を走るのは、決して気持ちのいいものではないだろう。しかし、ビリになった責任は誰にあるのか? ビリになるのにはビリになるだけの理由があるのだ。
 
 ただそれでも、ビリでも何周差をつけられても、最後まで諦めずに走り抜く奴はカッコいいと僕は思う。

次ページタイのサッカーにも見られる“諦めの良さ”。

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