柏に足りなかったピース。それは、かつて積み上げた“財産”

2021年01月05日 志水麗鑑(サッカーダイジェスト)

「ボールを奪ってから攻撃に入るタイミングで攻め急ぎ過ぎた」

ルヴァンカップ準優勝に終わった柏。写真に収まっているなかでも、ユース出身選手は大谷(7番)、古賀(4番)、滝本(16番)、仲間(33番)の4人だけである。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

「オルンガと江坂だけでしょ」

 昨年、サッカー談義に花を咲かせると、柏担当としてそう揶揄されることが何度かあった。シーズンの締め括りとなったルヴァンカップ決勝(●1-2)での負けっぷりを見ると、残念ながらぐうの音も出ない。FC東京にオルンガと江坂任を抑えられ、完全に攻め手を失っていたからだ。

 ゲーム終了後、ネルシーニョ監督の口からは、負け試合でよくある反省の弁が聞こえた。

「ファイナルということで入りがちょっと硬かったのかなと思います。力み過ぎた結果、ボールを奪ってから攻撃に入るタイミングで攻め急ぎ過ぎた」

 攻め急ぎはシーズンとおして何度も課題に挙げられていた。特に象徴的だったのが23節の湘南戦だ。2-1とリードしながら、縦に速いサッカーを意識しすぎてボールロストして終盤に2失点。指揮官は逆転負けを「2-1になってから3点目を取り急ぎ過ぎたのが一番の原因」と分析していた。

 つくづく、なんとも皮肉だなぁ、と思う。かつて柏は攻め急ぐどころか、ポゼッションが上手かったチームなのに、と。

 15年に柏は、アカデミーにポゼッション哲学を浸透させた吉田達磨氏を監督に据え、そこからはトップチームも下部組織と同じポゼッションスタイルを標榜した。17年にはU-18などでも指導経験がある下平隆宏監督(現横浜FC監督)の下、J1で4位。中谷進之介(現名古屋)や中山雄太(現ズヴォーレ)ら多くのユース出身選手を軸に、多彩な攻撃を展開した。

 しかし、18年にはJ2降格の憂き目に遭い、第1次政権時(09年7月~14年12月)に複数タイトルをもたらしたネルシーニョ体制に回帰した。19年から名将の下で再建を図る過程では、ポゼッションスタイルで育ったアカデミー出身選手も徐々に退団。ずいぶんと減った今、その代表格として挙げられるのは古賀太陽と中村航輔、大谷秀和くらいか。彼らが欠場した湘南戦、「ポゼッションしながら攻撃の入り口を見つける作業が疎かになってしまった」(ネルシーニョ監督)のは、必然だったのかもしれない。

次ページポゼッションの成熟には積み重ねが要る。

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