14歳でバルサの“異例オファー”を断り、13クラブも移籍した元逸材MFが抱く最大の後悔とは?「サインしろと言われ…」

2020年11月13日 サッカーダイジェストWeb編集部

「僕は夢を追う若い子どもでしかなかった」

トッテナムのクラブ記録を更新する早さでプレミアリーグのピッチに立ったボストックだが、彼のキャリアは周囲が期待するほどの輝きを放てなかった。 (C) Getty Images

 若くしてビッグクラブの関心を集めたものの、残念ながら大きな成功を収められなかったという選手は少なくない。クリスタル・パレスのユースで育ったジョン・ボストックもそのひとりだ。

 現在28歳で無所属のボストックは、ティーンエージャーだった時には、メガクラブへのステップアップも狙えた逸材だった。英公共放送『BBC』のインタビューで、「14歳のときにバルセロナが10年契約をオファーしてくれた」と明かす。

「当時、ロナウジーニョが好きだったから、彼らはサイン入りのポスターを送ってくれたんだ。今でもロンドンの家にある。『ロナウジーニョよりジョンへ』と書かれているよ」

 だが、ボストックは、異例とも言える長期オファーを提示したバルサと契約しなかった。かつて「ワンダーボーイ」と呼ばれた男は、レアル・マドリーやインテル、マンチェスター・ユナイテッド、チェルシー、リバプールといった強豪から誘われていたからだ。

 数ある有力クラブの誘いのなかで、ボストックが15歳のときに選択したのは、トッテナムだった。
 
「家族と代理人は、トッテナムに行くことが僕にとって最善の利益と考えた。僕の成長にとってベストだと思ったんだ。正直に言うと、僕自身に発言権はなかった。15歳だ。机の書類を見て、サインしろと言われただけさ」

 当時、獲得を巡ってクリスタル・パレスとトッテナムが揉めたことで、ボストックにも批判の声もあったようだ。オンラインチャットを見ていたという本人は、「主観的な状況だけを見て、『あいつは金目当て』とか思うんだ。『道で会ったらこうしてやる』みたいなことを書かれた」と振り返る。

「家族のネットワークがあって、周囲に精神的な苦しさを話せるような人たちがいたのは幸いだった。人は試合だけを見るけど、裏には人生や重圧、期待。僕は夢を追う若い子どもでしかなかった」

 2008年にトッテナムに移籍し、クラブ最年少デビューも飾ったが、トップチームではインパクトを残せなかった。ボストックは、「パレスより大きなクラブだとは感じなかったけど、異なるサイズだった。バロンドールを受賞するルカ・モドリッチや、ガレス・ベイルのような選手たちがいたんだ」と、正直に漏らした。

「すべてのポジションに、最低でも2人の代表選手たちがいたんだ」

次ページバルセロナ移籍を断ったのは失敗だったのか――

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事