久保建英とアンス・ファティ――マシアが生んだ“2人の天才”の知られざるエピソードをバルサ関係者が語る「やりたい放題だった」【現地発】

2020年11月07日 ジョルディ・キシャーノ

タケの帰国を一番悲しんだのが…

リーガで眩い輝きを放つ久保(左)とアンス(右)。2人の俊英の少年時代に現地記者が迫った。 (C) Getty Images

 サッカー少年にとって、ボールを取り上げられることほど悲しいことはない。タケ(久保建英)が12歳のときに起こった出来事はさらに気の毒だった。

 当時所属していたバルセロナが、FIFAから18歳未満の外国人選手獲得・登録違反による制裁措置――1年間の補強禁止と該当選手の公式戦出場停止――を受け、10歳でバルサに入団していたタケも、その対象となったのだ。

 タケはその後も1年近くバルセロナに残り、チームメイトと一緒に練習を続けた。ただ、もちろん公式戦に出ることはできなかった。そしてある日の練習前にタケは、当時のインファンティル(13~14歳のカテゴリー)の監督にこう申し出た。

「チームのみんなに話したいことがあります。少し時間をもらってもいいですか」

「分かった」と即答した監督には、この日本人プレーヤーがなにを話そうとしているか想像がついていた。タケの我慢が、ついに限界に達したのだ。

「僕は日本に帰る。ここでは試合に出られないし、勝敗を競い合うこともできない。帰る必要があるんだ」
 
 タケのこの悲痛の言葉に、チームメイトたちは胸が締め付けられる思いだったという。プレーヤーとしての実力もさることながら、タケは持ち前の明るい性格でチームの人気者だったからだ。そして、その中でも人一倍ショックを受けていたのが、ひとつ年下のストライカー、アンス・ファティだった。

 タケとアンスはお互いを認め合うチームメイトであり、好敵手だった。友情は自然に醸成された。まだアレビン(11~12歳のカテゴリー)に所属していた頃、チーム内で頻繁にマシア(バルサの選手寮)に出入りしていたのは彼らだけで、一緒に行動する時間も多かった。

 タケはカンプ・ノウの近くのマンションに家族とともに住み、マシアで過ごすのは練習後のランチの時間を含めた半日程度。一方のアンスは、実際にマシアで生活していた。彼の家族がバルセロナに移住するのは、それから約1年ほど先のことだったからだ。

「ふたりがいがみ合うようなことはなかったよ」

 タケとアンスの当時の関係性について、かつてカンテラでテクニカルスタッフを務めていたあるクラブ関係者がこう切り出すと、前出のインファンティル時代の監督も同調する。

「アンスがすごく活発な少年だったのに対し、タケはとても行儀が良かった。プレースタイルも性格そのままさ。アンスは前線のかき回し役といった感じで、タケのプレーはスタイリッシュそのものだった」

 インファンティル時代の監督は、13歳のタケをこう解説する。 

「タケのプレースタイルは基本に忠実。サッカーIQが高くて、得点センスに秀でていた。そしてタケをもっとも非凡たらしめていた重要な要素が、超がつくほど負けず嫌いなその性格だった。タケはトレーニングでも、あらゆるエクササイズにおいてつねに一番になることをめざしていた」

次ページ「タケとアンスが揃って出場する試合の勝敗は、キックオフの前から決まっていた」

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