名将バスビーがスカウトしてマンUと契約寸前だった!? 他界した名俳優ショーン・コネリーの意外な過去とは?

2020年11月01日 サッカーダイジェストWeb編集部

スコットランドの労働者階級の生まれで――

2005年のチャリティーマッチでは、ロナウジーニョと夢の“共演”を果たしていたコネリー(右)。 (C) Getty Images

 名俳優がこの世を去った。

 現地時間10月31日、英公共放送『BBC』は、イギリス人俳優のショーン・コネリーがバハマの自宅で逝去したと報じた。90歳だった。

 ハリウッドの人気スパイ映画『007』シリーズの初代ジェームズ・ボンドを演じ、1962年の「007/ドクター・ノオ」をはじめ、「007/ロシアより愛をこめて」「007は二度死ぬ」など計7作品に出演して一躍スターに。1987年公開の「アンタッチャブル」では、主人公を助ける老警官役で、第60回アカデミー賞の助演男優賞を受賞していた。

 2006年に俳優業から引退していたコネリー。だが、彼が全く別の人生を歩んでいた可能性もあったことは意外に知られていない。スコットランドの労働者階級の家庭で生まれた彼は、プロサッカー選手を目指していたのだ。

 幼少期からサッカーに勤しんでいたコネリーは、1950年代初頭にスコットランドのセミプロチームであるボニーリッグ・ローズ・アスレチックFCに在籍。ある日の練習試合でのプレーがなんとマンチェスター・ユナイテッドのスカウトと当時のマット・バスビー監督の目に止まり、オファーが舞い込んでいたのである。
 
 実際、名将バスビーが認めた実力はどれほどだったのか。スコットランドの地元紙『The Dalkeith Advertiser』のあるカップ戦でのマッチレポートには、次のように記されている。

「右ウイングとしてプレーしたコネリーは高身長でかなり目立つ存在だった。ボニーリッグ・ローズ・アスレチックFCは1-3で敗れたが、コネリーは30ヤードもの距離のあるミドルシュートを決めた」

 しかし、周知の通り、コネリーはマンチェスター・Uのオファーを固辞。サッカー界ではなく銀幕のスターとしてのキャリアを歩むことになる。彼は2005年にスコットランド誌『Mudand Glory』に掲載されたインタビューで、自身の決断を次のように振り返っている。

「私はサッカーを愛していたから、本当はオファーを受けたい気持ちもあった。だが、どんなトップクラスの選手でも30歳を境に衰退していくことを考えてしまったんだ。当時の私はすでに23歳だったからね」

 多くの名作に出演して世界中を興奮させたコネリー。彼が20代前半で下した決断は、間違っていなかったと言えるだろう。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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