20年前に東京を席巻した“ボケンセの狂気”! ボカがマドリーを倒したトヨタカップの記憶【南米サッカー秘蔵写真コラム】

2020年10月30日 ハビエル・ガルシア・マルティーノ

勝利を確信したリケルメのプレー

マドリーを粉砕する2ゴールを挙げたパレルモは、クラブ史に名を残すアイコンへとなっていった。 (C) Javier Garcia MARTINO

 もうすぐボカ・ジュニオルスが東京でクラブ世界一の称号を勝ち取ってから20年になる。

 2000年11月28日、ボカは国立競技場で開催されたインターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)で、レアル・マドリーを破って世界チャンピオンになった。当時のレアル・マドリーは「ロス・ガラクティコス(銀河系軍団)」と呼ばれて、ルイス・フィーゴやラウール・ゴンサレスといった文字通りのスターを揃えていただけに、試合開始直後に速攻からマルティン・パレルモが先制点をマークした時は興奮のあまりシャッターを切る手が震えてしまったのを私は覚えている。

 ロベルト・カルロスのゴールで1点差に迫られ、ボケンセ(ボカのファン)にとっては最大限に緊張感のある展開が続いた。だが、私はロマン(・リケルメ)が足の裏を使って、ボールを転がす余裕の姿を見ながら「今日はボカが勝つ」と確信していた。なぜなら彼が自信満々でプレーする時のボカは負けないからだ。

 あの日はとても寒かったが、スタンドの半分以上を埋めたボケンセたちが会場を盛り上げ、国立競技場は異様な熱気に包まれていた。知り合いの日本人フォトグラファーが「トヨタカップで海外からこんなにたくさんのサポーターが来たことはなかった」と驚いていたが、あれには私もびっくりした。当時のアルゼンチンは不況の真っ只中にあって、誰もがこぞって海外旅行に行くような状況とはかけ離れていたからだ。
 

 だが、ボケンセたちにとって、あの試合のために遥々東京まで応援に行くことは当たり前だった。文字通りボカのために生きている人たちであり、何とかして旅費を工面し、仕事を休んで地球の反対側まで行くことに躊躇いなどないのである。

 母国を離れ、海外に住んでいるボケンセもたくさん来ていたのも覚えている。新宿の駅前で出会ったボカのユニホームを着た初老の男性2人はカナダのトロント在住だったし、国立競技場周辺で道に迷っていたグループはスペインから来た若者たちだった。

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