「あまりに異なる国だった」名伯楽ヴェンゲルが英紙で“日本”を語る「外国人として地元の人以上に…」

2020年10月13日 サッカーダイジェストWeb編集部

「私はヨーロッパには戻らないとほぼ決心していた」

巧みな手腕で名古屋を立て直したヴェンゲル。もしも、彼がそのまま指揮を執っていれば、クラブの歴史も変わっていたかもしれない。 (C) Getty Images

「今思い返してみても、非常に興味深く、とてもエキサイティングな経験だった」

 現地時間10月11日に掲載された英紙『The Guardian』のインタビューで、プレミアリーグ史に残る名将アーセン・ヴェンゲルは、日本で辣腕を振るった時代をそう回想した。

 1996年10月から約22年間に渡る長期政権をアーセナルで築いたヴェンゲルだが、ノースロンドンに辿り着く直前には名古屋グランパスを指揮。当時、低迷していたチームの立て直しを成功させていた。

 就任1年目で年間総合順位3位(2ステージ制)に導き、最優秀監督賞を手にしたヴェンゲルは、天皇杯を制してクラブに初タイトルをもたらすと、翌シーズン(1ステージ制)にもリーグ戦で2位フィニッシュと見事な手腕を発揮したのである。

 約1年半と短期間だったものの、日本サッカー界で確かな功績を残したヴェンゲルは、「自分にとって有益なものだった」と当時を次のように振り返っている。

「私はよりオープンマインドになることができたと思う。私はモナコで働き、その後には日本とイングランドでも働いたが、全てが全く違うものだった。だが、その経験によって、より寛容になり、他の人々をより理解しようとした。結局は、その国の文化は幼少期に作り上げた考え方や行動様式から成るものだと気付くのだ。

 他人との出会いは、自分自身から抜け出して目の前にいる他人を見ようとしなければならない。それは、監督の仕事の一部で、それこそが、私が日本でやろうとしたことでもある。私は日本語も学ぼうとした。そして、どう振る舞うかを説明してもらうために日本人のアシスタントを持とうとしたよ」

 さらに「もしも、大きな仕事でなければ、私はヨーロッパには戻らないとほぼ決心していた」とも告白した70歳の名伯楽は、外国人から見た日本への想いも明かしている。

「日本からイングランドに戻った時、私はよりリラックスした気持ちになった。日本はあまりに異なる国だったからだ。日本で様々なものを楽しんだとしても、イングランドは文化的に私の国に近い。

 だが、選手たちにはいつも言っている。自分がどこかで外国人になった時、自分のことを受け入れてもらいたいのは当然だが、『地元の人以上のものを与えなければいけないと考えなくてはいけない』と。

 だから、日本での経験は良かった。自分への厳しさが増し、自分への要求が高くなるからね。外国人として自分がそこにいるなら、地元の人達以上を尽くさなければいけないと感じていた」

 昨年10月に来日した際には、「日本のことはとても愛しているから長く関わっていたいと思う」と語っていたヴェンゲルだが、再びJリーグで指揮を執る日は訪れるだろうか。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部
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