ネイマールをチーム戦術に組み込んだトゥヘルの「功罪」――天才を獲得したのは何のためか?【現地発】

2020年09月07日 エル・パイス紙

肝心な場面でエネルギーが不足

再三の決定機を決め切れず、コロナ中断明けのCL3試合は無得点に終わったネイマール。 (C) Getty Images

 パリ・サンジェルマンのネイマールが、バイエルンとのチャンピオンズ・リーグ決勝敗退(0-1)後に流した涙は、どれほど懸命にチームメイトとともに優勝を目指して戦っていたかを物語っていた。

 実際、ネイマールはリスボンでチームの一員としてプレーし続けた。これは、この異端児をプレッシングを軸とする要求度の高い戦術に組み込んだトーマス・トゥヘル監督の功績と言えるだろうか。たしかにあれほど走るネイマールも、あれほど後方から駆け上がって攻撃を仕掛けるネイマールも、あれほどチームメイトの動きに呼応してプレーするネイマールも見たことがない。

 ただ同時に、あれほどゴール前で決定機を外したネイマールを見たこともなかったのも事実だ。
 
 相手GKと対峙してチャンスを得た時、フィジカルをフレッシュな状態に保っていたほうが得点の可能性が高くなる。しかしリスボンでのネイマールは中盤の攻撃の組み立てに参加し、チェイシングに奔走し、ゴール前にたどり着くころには40メートルもの距離を駆け上がる必要があった。肝心な場面でエネルギーが不足していた面は否めなかった。

 戦術の進化に伴いチームプレーという名目のもとに、誰もが均等にハードワークをしなければならないという考え方が指導者の間で強迫観念のように定着しつつある。しかしそうしたフィジカル面での努力とは別に、クリエイティブ面での努力がもっと評価されてしかるべきだ。

 ネイマールのような天才を獲得するのは、監督が想像も及ばないようなイマジネーション豊かなプレーでチームを勝たせることを期待してのはずである。今後、指導者が掲げるべき理想は、圧倒的な個の力を持った選手を疲弊させることなくチームプレーに融合する戦術を構築することだろう。

文●ホルヘ・バルダーノ
翻訳:下村正幸

【著者プロフィール】
ホルヘ・バルダーノ/1955年10月4日、アルゼンチンのロス・パレハス生まれ。現役時代はストライカーとして活躍し、73年にニューウェルズでプロデビューを飾ると、75年にアラベスへ移籍。79~84年までプレーしたサラゴサでの活躍が認められ、84年にはレアル・マドリーへ入団。87年に現役を引退するまでプレーし、ラ・リーガ制覇とUEFAカップ優勝を2度ずつ成し遂げた。75年にデビューを飾ったアルゼンチン代表では、2度のW杯(82年と86年)に出場し、86年のメキシコ大会では優勝に貢献。現役引退後は、テネリフェ、マドリー、バレンシアの監督を歴任。その後はマドリーのSDや副会長を務めた。現在は、『エル・パイス』紙でコラムを執筆しているほか、解説者としても人気を博している。

※『サッカーダイジェストWEB』では日本独占契約に基づいて『エル・パイス』紙に掲載されたバルダーノ氏のコラムを翻訳配信しています。

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