大荒れの柏対鹿島。プロスポーツとしてのエンターテイメントになっていたのか?

2020年08月30日 志水麗鑑(サッカーダイジェスト)

確かに選手の心情も察することはできるが…

審判を囲む柏と鹿島の選手たち。このようなシーンが多く、とにかく試合が何度も止まった。写真:徳原隆元

 Jリーグオフィシャルスタッツの「J STATS」によると、ファウル数は両チーム合わせて30。柏対鹿島は大荒れだった。少し落ち着いた後半と比べると特に前半はより酷く、45分間で18回も試合が止まり、イエローカードは前半だけで合計4枚も出ている。

 立ち上がりは両チームとも球際を激しく戦い、見応えのあるゲームだった。気迫のこもったプレーは大事だし、そのなかでファウルは起こり得る。だが次第に試合が荒れていくと、アフターチャージが増え、なかにはボールに関わっていないところで手や足が出ている選手もいた。そして、その都度、選手がピッチに倒れたり、抗議が長くなり、ゲームが止まる。

 確かに選手の心情も察することはできる。不可解なジャッジも多々あったし、加えてファウルの基準も曖昧だった。フラストレーションを溜めるのは無理もない。審判のエクスキューズを探すなら、「人がやることだからミスもある」「コロナ禍でVARを活用できないのだから」などと見る向きもあるかもしれないが、選手にプロフェッショナルを求めるのであれば、それは審判も同様。なので試合をコントロールできなかった柏対鹿島の審判団を擁護はできない。

 だからと言って、すべての責任を審判に押し付ければ、なんでも許されるのかという疑問が残った。個人的な見解で言えば、ずる賢いプレーや自チームに有利なジャッジになるように審判と駆け引きすることも、ゲームを形づくるひとつの要素として納得はできる。筆者も学生時代から愛好してきた海外サッカーなどでも日常茶飯事で、それをエンターテイメントのひとつとして楽しんでもいた。だが、柏対鹿島のファウルの応酬を「サッカーはこういうものだ」と受け入れるのは難しい。

 理由となる違いは理性である。感情的にあるいは意図的にファウルを犯す選手が増えて試合が荒れるとともに、プレーの質が落ちて、ゲームの魅力が低下していた。だから、ファウルが「激しい攻防のなかで起こり得る仕方がないものなのか」、抗議が「マリーシア(ずる賢さ)や駆け引きに該当するものなのか」という疑念が拭いきれなかった。特に前半、そうして何度も試合が止まる大荒れの展開で、プロスポーツとしてのエンターテイメントになっていたのだろうか。

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