「もう、必死だよ」が口癖だった――引退・内田篤人、デビューイヤーの衝撃と17歳の本音

2020年08月24日 小室功

17歳11か月6日でのJ1デビュー。充実感よりも精根尽き果てたかのような…

高卒で加入し1年目から定位置を掴んだ内田。2年目からは3連覇にも貢献した。写真:上野雅志/滝川敏之

 2006年に鹿島アントラーズでプロのキャリアをスタートさせた内田篤人が最初に身に着けた背番号は20だった。

 少年のようなあどけなさが残り、身体つきも華奢。荒ぶる猛者たちがしのぎを削り合うプロの世界で戦っていくために「まずはフィジカルを鍛えてから」と見られていたし、内田本人もそれをよく自覚していた。

 だから、いきなり開幕戦デビューを飾るとは、誰も予想していなかった。チームが始動したばかりのころは。

 ところが、同年に鹿島の監督に就任したパウロ・アウトゥオリの見立てはまったく違っていた。ブラジルの名門サンパウロを率い、05年のクラブ世界選手権(クラブワールドカップの前身)でリバプール(イングランド)を破り、クラブ世界一に輝いた指揮官は何のためらいもなく、背番号20を開幕戦のスタメンに抜擢する。

「私の求める役割をこなせるか、どうか。その点で、アツトはよくやっている。日本では若いというだけで不安を覚えてしまうようだが、ピッチに送り出すうえで、年齢はさほど重要ではない」

 就任1年目のアウトゥオリ監督は、Jリーグ開幕に向けた準備期間のなかで、選手たちを先入観なく、フラットに見ていた。そして、自身の見立てを信じて疑わなかった。右サイドバックの主軸であるベテランの名良橋晃が負傷中だったことも重なり、ルーキーの内田にチャンスを与えた。

 3月5日、敵地に乗り込んでの広島戦。4日前に清水東高(静岡)の卒業式に出席したばかりの俊英が試合前の集合写真に収まっている。17歳11か月6日。高卒ルーキーが開幕戦デビューを果たすのはクラブ史上初のことだった。

 スタメン起用は試合前日にアウトゥオリ監督から告げられたという。1週間前の水戸とのプレシーズンマッチでもフル出場していただけに「あるかな」となんとなく予想していたそうだが、明言されたことで腹が決まった。

 持ち前のスプリントを生かし、立ち上がりから積極的に仕掛けた。先制点につながるPKを誘発するなど、チームの勝利にひと役買った。4-3という壮絶な打ち合いになったが、90分間を戦い終え、充実感よりも精根尽き果てたかのような内田の表情が印象に残っている。
 

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