なぜ年代別代表に選ばれてこなかったのか…広島DF野上結貴の“規格外”の能力と久保竜彦との共通点

2020年08月21日 中野和也

FC東京のアカデミーのセレクションに不合格

共通点が浮かび上がる野上(左)と久保(右)。(C)SOCCER DIGEST

[J1リーグ11節]広島3-3FC東京/8月19日(水)/エディオンスタジアム

 これほどの才能がなぜ、年代別代表にもひっかかってこなかったのか。正直、不思議で仕方がない。それほど、才能を見い出すことは難しいということだろうか。

 東京都出身の29歳・野上結貴に感じたことと同じような思いは過去、久保竜彦で実感した。サッカーを取材し始めた頃だった記者にも、久保の凄さはすぐに理解できた。圧倒的な身体能力、アフリカの選手を思わせるような柔らかさ、全てのモノをたたき壊すような破壊力を持つ左足……。足下の技術も柔らかく、経験を積むだけで才能が花開くのは明白に見えた。

 なのに彼は年代別代表にも選出されず、福岡県の中に埋もれた無名選手だった。サンフレッチェ広島加入もテストによって決まったもので、他のクラブからオファーは全くなかった。

 野上もまた同様である。圧巻のスピード、強烈なバネを活かした高さ、足下の技術も確かで、ビルドアップも縦パスも正確だ。戦術眼も確かで判断にもブレがない。「彼のことはずっと追いかけていた」と広島・足立修強化部長は語っていたが、さすがに保善高時代ではない。桐蔭横浜大時代にCBへとコンバートされた後のことだ。
 
 大学に入るまでの野上は、全くの無名。中学に上がる時にFC東京のアカデミーに入りたいとセレクションを受けるも不合格。年代別代表にも選出されることはなく、スカウトの注目株に挙がったこともない。もっと早く「発見」されるべきだった才能だったのに、だ。

 2人の共通点は何か、考えてみると一つの仮説が成立する。それは、適性ポジションではない場所で、ずっとプレーしていたということだ。

 久保は高校時代、爆発的なスピードを活かして主としてサイドハーフでプレーしていた。実はプロになっても同様で、ビム・ヤンセン監督(当時)が3−4−3を採用していたこともあり、主戦場は左ウイングかウイングバックだった。その久保を河内勝幸サテライト監督がFWにコンバートしたことで、才能は一気に花開いた。

 野上は大学1年までサイドハーフやボランチを務めていた。しかし桐蔭横浜大の八城修監督(当時)は「日本にはセンターバックの人材が少ない。プロになるならこのポジションだ」と彼をCBへコンバートする。この見立てが功を奏し、評価はグッと上がっていった。
 

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