「プレーできるレベルにない」10代で“失格の烙印”を押されたバイエルンの俊英ニャブリは、いかに再起したのか?

2020年08月21日 サッカーダイジェストWeb編集部

リヨンの堅牢を個人技でこじ開ける

バイエルンで輝きを放つニャブリ。そのキャリアは決して順風満帆というわけではなかった。 (C) Getty Images

 現地時間8月19日に開催されたチャンピオンズ・リーグ(CL)準決勝のリヨン対バイエルンの一戦で勝負を決めたのは、ドイツ王者の俊英セルジュ・ニャブリが魅せた個人技だった。

 戦前の予想通りに自陣に下がって守備を固めるリヨンに対して、序盤から攻めあぐねていたバイエルン。しかし、眼前に立ちはだかる堅牢を力強くこじ開けたのが、ニャブリだ。

 18分、右サイドでボールを受け取ると、カットインからバイタルエリア付近までドリブル。5人に囲まれながらも、そのまま左足一閃。鋭い弾道のシュートをゴール左上隅に突き刺したのである。

 ボールを叩き潰さんばかりの強烈な一撃を見舞った22番は、33分にも仕事を果たす。敵陣で相手のボールを奪って、左サイドでフリーとなっていたイバン・ペリシッチに冷静にパス。最後はレバンドフスキのシュートをGKがブロックしたこぼれ球を冷静に押し込んだ。

 崩しの急先鋒として。いまやバイエルンで不可欠な存在となっているニャブリ。だが、キャリアの創生期に、「失格」の烙印を押されたことは、意外に知られていない。
 
 15歳でアーセナルの下部組織にスカウトされたニャブリは、2012年にクラブ史上2番目の若さとなる17歳でプレミアリーグデビューを果たす。だが、当時の指揮官アーセン・ヴェンゲルに「時々サッカーで楽な道を探そうとする」と指摘され、競争の激しいアーセナルで居場所を見つけるのは難しかった。

 2015年の夏にWBAに期限付きで移籍するも、トニー・ピュリス監督に「プレーできるレベルにない」と断じられ、インパクトを残せないまま、レンタルバック。その後にバイエルンへと移籍した。

 だが、母国への帰還が転機となる。バイエルン移籍直後にレンタルで渡ったブレーメンで出場機会を得ると一気に才能が開花。その後に再び期限付きで移籍したホッフェンハイムでは、智将ユリアン・ナーゲルスマン(現RBライプツィヒ監督)の薫陶を受け、着実に成長していった。

 リヨン戦でのパフォーマンスが表わすように、今やバイエルンの崩しの切り札となったニャブリ。イングランドでの失敗は、自分を見つめ直す意味で必要な経験だったのかもしれない。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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