“ドーハの悲劇”を戦った元イラク代表FWが56歳で死去。新型コロナウイルス感染症で

2020年06月22日 サッカーダイジェストWeb編集部

一度は退院するもその後に容体が急変

93年のW杯アジア最終予選時のラディ氏。日本戦でも1ゴールをマークした。(C)Getty Images

 突然の訃報にイラク中が悲しみに暮れている。

 アジア・サッカー連盟(AFC)のアラビア語版公式サイトは6月21日、元イラク代表FWでかつて同国サッカー協会の会長も務めたアーメド・ラディ氏が、首都バグダッドで死去したと報じた。享年56。

 死因は新型コロナウイルスの感染による合併症とされる。数日間に渡って息苦しさを感じていた同氏は、6月13日にPCR検査によって陽性が判明した。緊急入院となったものの快方に向かい、18日に一度は退院。しかしその後にふたたび症状が悪化し、日曜日に帰らぬひととなった。

 ラディ氏はイラク・サッカー界のレジェンドで、1986年メキシコ・ワールドカップでは唯一となるゴールを決め、88年にはAFCのアジア年間最優秀選手にも選ばれた。日本のファンにとっても聞き覚えがある名だろう。1993年のアメリカ・ワールドカップアジア最終予選、"ドーハの悲劇"として記憶される日本対イラクの最終戦。オフトジャパンの前に立ちはだかり、55分に1-1となる同点ゴールを決めたストライカーがラディ氏だった。

 
 2003~04年にはサッカー協会会長の重責を担い、指導者や政治家として国内スポーツの復興に尽力。AFCのサルマン・アル・ハリファ会長は公式サイトにコメントを寄せ、「アジアのサッカーファミリーすべてがその死を悼んでいる。彼はイラク・スポーツ界のアイコンであり、その貢献は永遠に語り継がれ、讃えられるだろう」と哀悼の意を示した。FIFA(国際サッカー連盟)も公式ツイッターで、ラディ氏の偉大なる功績を紹介している。

 イラクのムスタファ・アル・カディミ首相は「我らがアーメド・ラディは緑のジャージ(代表チームのユニホーム)を着て旅立った。彼がなによりも愛し、そして我々がもっとも愛した姿のままでこの世を去ったのだ」と、国民に向けてメッセージを送った。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部
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