【J新指揮官の肖像】柏・吉田達磨監督|トップからアカデミーを貫くスタイルの産みの親

2015年02月12日 鈴木潤

高校時代からすでにサッカー部の練習メニューを作成。

今季から柏の指揮を執る吉田新監督。U-18監督時代には、工藤、茨田らを育てた。(C) KASHIWA REYSOL

 今季、柏は吉田達磨新監督の下、新たな体制でスタートを切った。監督初采配となる40歳の青年監督は、名将と謳われたネルシーニョ前監督から引き継いだチームをどう導こうとしているのか。新指揮官のサッカーを紐解くべく、その哲学、スタイルを形成してきたキャリアを振り返る。

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 1月15日のチーム始動から約1か月。柏の吉田新監督が目指すサッカーが、早くも形になろうとしている。
 
 前任のネルシーニョ監督が対戦相手を分析し、それに応じた策を講じて相手を術中にはめてしまうリアクション要素の強いサッカーだったのに対し、吉田監督は自分たちがボールを保持してアクションを起こす「攻撃的な」サッカー、一言で言えば「ポゼッション」スタイルを志向する。
 
 まったく異なるスタイルへの方向転換。ただし、日々の練習における吉田監督の一つひとつのプレーや各局面での綿密な指示、明確かつ詳細な要求が選手たちに行き渡り、選手たちもまた前向きに取り組んでいることで、新戦術の浸透は思いのほか早く進んでいるようだ。
 
 柏に数々のタイトルをもたらした名将ネルシーニョから、チームを引き継いだ吉田達磨とは、いかなる人物なのか。
 
 吉田は中学時代、現在の『柏レイソルアカデミー』の前身にあたる『日立サッカースクール柏』に所属していた"下部組織育ち"だ。そこから東海大浦安高を経て、1993年に柏(当時の日立製作所サッカー部)に入団。以降、京都、山形、ジュロンFC(シンガポール)と渡り歩き、2002年に現役を引退した。
 
 高校時代には、すでに「将来はサッカーの指導者」という自分自身の姿を思い描いていた吉田は、監督の許可を受けては優れたコーチの資質を活かしてサッカー部の練習メニューを作成していたという。
 
 京都時代には元日本代表監督のハンス・オフトから多くを学び、自分の糧とした。その後現役を退いた吉田は、03年から柏のアカデミーコーチに就任。ここで当時中学1年だった工藤壮人、武富孝介(ともに柏)、酒井宏樹(現ハノーファー)、比嘉厚平(現山形)といった、後にクラブ史上最多となるトップ昇格6選手と、指宿洋史(現新潟)らを加えた9人のプロ選手を輩出する90年生まれの世代、いわゆる"柏アカデミーのゴールデンエイジ"との邂逅があった。
 
 サッカーへの探究心を絶やさぬ吉田は、独自の哲学の下に攻撃的なポゼッションスタイルを打ち出し、彼の指導を受けた才能豊かなゴールデンエイジたちは、そのサッカーを具現化させた。

次ページアカデミーでの功績から、数年計画でネルシーニョの後任監督に育成。

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