【指揮官コラム】チェンマイFC監督 三浦泰年の『情熱地泰』|余計なプライドは捨てて、いざ開幕へ!!

2015年02月10日 サッカーダイジェスト編集部

プライドを捨て、折れなければいけない時がある。

チェンマイFCの新ユニホームのお披露目撮影での一枚。2月14日に開幕するタイリーグのディビジョン1で、チェンマイFCはソンクラー・ユナイテッドと対戦する。

 タイの5部リーグに所属するチームとのトレーニングマッチを終え、いよいよ2015年シーズンが2月14日に開幕する。
 
 単身タイに渡り、新たなチームを率いて1か月。このコラムでもたびたび紹介してきたように異国の文化や慣習にまったく戸惑いがなかったわけではないが、なんとかチーム作りも軌道に乗り、開幕戦に漕ぎ着けることができた。
 
 確かにシーズン前の準備段階で、日本でなら絶対に起こり得ないようなこともあった。それでも、与えられた環境に対して、僕が言うことは何もない。まずは言い訳なしに、このタイで自分の持てる力をぶつけていきたいと思っている。
 
 そんなリーグ開幕を間近に控えたこの時期に、昔の仲間が言った言葉が不意に思い出された。何気なく聞いて、何気なく通り過ぎていった言葉ではあるが……。
「俺のプライドは、プライドがないことなんだ」
 
 本当にプライドのないことを言い切った友人に、当時は「へ~」という感じだった。どういう意味で言ったのだろうか?
 
 もう30年くらい前の話だ。きっと僕は、そんな仲間のことを「ダサい奴だな」などと斬り捨て、「自分が持っているプライドは違う、男として本物だ」と思っていたかもしれない。
 
 ただ、長年プロの世界で生きていると、プライドにもいろいろあると感じるのだ。それは、若かった当時の自分には分からなかったものだ。
 
 選手で言えば、高すぎるプライドは時に弊害をもたらす。他人の声に耳を貸さなくなったり、現状の自分に満足してしまったり……。プライドが成長を止めてしまうパターンだ。
 
 逆に、持つべきプライドもある。例えば、ピッチ内では自分に課せられたタスク、責任というものがあるはずだ。それを果たすには、やはり信念やプライドを持って戦わなければならない。もちろん、こうしたプライドは人を成長させるだろう。
 
 しかし、僕はここタイで、日本社会では当然とされるやり方や考え方、あるいは責任を全うするために必要とされるプライドが、通用しないという場面に何度か遭遇した。それこそ、プライドを捨て、折れなければ話が前に進まないのだ。
 
 僕は今、チェンマイFCを取り巻く環境や人間たちと良好な関係を構築していくために、日々の様々な場面で試行錯誤を強いられている。要するに、自分が持つプライドや考え方、哲学と、周りが持つタイ社会の価値観との折り合いだ。自分では、それがタイで成功を掴むための大事なポイントだと感じている。
 
 きっと、これまでの4年間、自分と一緒に仕事をしてきたアシスタントコーチの吉岡は、タイで仕事をするようになって、何度か感じているのではないだろうか?
「やっさんがなんで?」と。
 
 吉岡本人に聞いたわけではないから分からないが、間違いなく北九州あるいはヴェルディ時代には、「やっさんだったら許さない」と思っている出来事があったのではないか? もちろん彼なら理解してくれていると思うのだが……。

次ページ“枝葉”を変えて少し新しい「ヤス」のサッカーを見せたい。

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事