【高原直泰/この一枚】「ハ・ポ・ネ・ス!」のコールが響き渡り、歓喜と怒りが渦巻くファナティックな空間で得たものとは?

2020年06月09日 徳原隆元

アルゼンチンでのデビュー戦はほろ苦いものに

アルゼンチンでの挑戦は約半年間で終わったが、得るものは多かったはず。日本に戻った高原は02年シーズン、磐田のリーグ優勝に大きく貢献し、自身はMVP&得点王に輝いた。写真:徳原隆元

 2001年8月19日、アップをしながら出場のチャンスを待っていた高原直泰が指揮官に呼ばれたのは74分だった。高原をピッチへと送り出す決断を下した指揮官は名将カルロス・ビアンチ。

 スタジアムはエスタディオ・アルベルト・J・アルマンド。通称ラ・ボンボネーラ。アルゼンチンが誇る強豪ボカ・ジュニオルスの本拠地で、骨太なサポーターが作り出すファナティックな空間は南米でも屈指の熱きスタジアムだ。

 アルゼンチンリーグ開幕戦のボカ・ジュニオルス対アトレティコ・ベルグラーノの一戦は1-1のまま終盤を迎えていた。この勝負どころで、ビアンチはチームに合流して間もない高原を投入する。南半球に位置するアルゼンチンの冬の冷たい風を受けてピッチを走る高原。急勾配のスタンドに陣取るサポーターたちは「ハ・ポ・ネ・ス(日本人)! ハ・ポ・ネ・ス!」のコールで日本人FWを後押しした。

 高原は攻撃的布陣となる3トップの中央を任され、前線を果敢に動き回りゴールを目指した。だが、コンビネーション不足もあってシュートを打つことができずに終わった。チームも終盤に2点を許し1-3で敗戦。アルゼンチンでのデビュー戦はほろ苦いものとなった。
 
 アルゼンチンのサッカーは掛け値なしにタフな戦いだ。フィジカルを前面に出してボールを奪い合い、真正面からノーガードで撃ち合うような激しさがある。もちろん随所で南米特有の高いボールテクニックは見られるが、ゲームを形作っているのは荒ぶるファイトスタイルだ。

 開幕戦はわずかなプレー時間しか与えられなかった高原だが、FWとして万能型の彼なら、これからチームメイトと多くの時間を共有していけば、アルゼンチンリーグのスタイルにも上手く適応し、活躍できるのではないかと期待を感じた。試合後、ビアンチも「タカハラはもっとできる」とコメントを発している。

 しかし、高原に与えられた挑戦の時間は短かった。アルゼンチン経済を襲った不景気の煽りを受けて、高原は契約解除の憂き目に遭い、半年でチームを去ることとなってしまう。
 

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