最強ヴェルディを率いた男。松木安太郎が明かす「J初代王者の神髄」(後編)

2020年06月09日 白鳥和洋(サッカーダイジェスト)

基本はディフェンスのチーム

V川崎をJリーグ連覇に導いた松木監督。安堵した表情が実に印象的だ。写真:Jリーグフォト

 2ステージ制で開幕したJリーグ元年、1993年のヴェルディ川崎は第1ステージこそ2位に終わったが、第2ステージに突入すると強さを発揮。新戦力ビスマルクの大活躍もあり、16勝2敗という好成績でステージ優勝を決めた。

「あの頃の支えは勝利。勝てばチームの雰囲気も良くなるからね。ビスマルスは選手としても人間としても素晴らしかった。ただ、確かにビスマルクの加入でチームは変わったけど、彼に依存した戦い方をしたわけではなかった。Jリーグの成功が日本代表の成功につながると考えた時、やっぱりチームのベースにすべきは日本人選手。それで味付けが足りない部分に外国人というスパイスを入れるのがベストなやり方だと信じていた」

 日本人選手が点を取って勝利する。それをひとつのプライドとして松木は持っていた。「ひとつ勘違いしないでほしいのは」と松木が口にしたのは、当時のチームスタイルについてだった。

「攻撃的なチームと言われたけど、そんなことはない。基本はディフェンスのチーム。ペレイラと柱谷を軸に一生懸命守って、少ないチャンスを前の選手がモノにする。組織的な守備こそチームの生命線だと考えていました」

 このシーズンは第1、第2ステージとも総失点はリーグで上から2番目に少ない。その事実からも、守備へのこだわりはうかがえる。もちろん、ディフェンスの充実だけが第2ステージ制覇の要因ではない。決めるべきところで決めたカズ、武田の決定力、ラモスとビスマルクのチャンスメイクなども勝因だが、リーグカップで躍動した若手選手の活躍も見逃せなかった。

「あの時のリーグカップは準決勝まで若手主体で戦ってね。(清水エスパルスとの)決勝をどのメンバーで戦うか、それを決めるうえで主力選手たちとも話した。ドーハでワールドカップ予選を戦った選手たちは『出る』という者もいれば、『疲れている』と答える者もいた。僕の中では、どうしても選手たちに優勝してもらいたいという気持ちがあった。チームに自信をつける意味でもヴェルディにとって大事なのは結果だったから、僕はベストメンバーを組むことにした。結果的に良かったのは、永井(秀樹)、藤吉(信次)を投入した後半に2ゴールを奪って逆転勝利したこと。あれでチームの雰囲気はだいぶ変わったかな。リーグカップ優勝はクラブの財産だよね、若手が活躍して結果を出したという意味でも。優勝していなかったら、こんな話もできない。どうやって勝ったかなんて、ほとんどの人が覚えていない。この世界、勝つか、負けるか。そういう点でも、あの優勝には価値があった」
 
 ヴェルディを刺激したのは、ジーコの下でプロの集団になっていた鹿島アントラーズ。この両雄が激突したチャンピオンシップは、まさにプロフェッショナリズムの戦いとなった。

「プロフェッショナリズムを持ち合わせた両チームの対戦は駆け引きもあって面白かったよね。あの舞台に勝ち上がってきたわけだから、戦力差なんて紙一重。運が味方したとも言えるかな。ただ、結果的に勝利への執念はヴェルディのほうが上だったのかもしれない」

 国立競技場が舞台となったチャンピオンシップ、第1戦を2-0で制したヴェルディは続く第2戦を1-1で引き分けて2試合トータル3-1で年間王者に輝いた。そしてディフェンディングチャンピオンで臨んだ翌94年も、ヴェルディはサントリーシリーズで躓きながらもニコスシリーズで圧倒的な強さを披露。「良い仕事をしてくれた」(松木)という"名参謀"ネルシーニョの尽力もあり、広島とのチャンピオンシップも制してリーグ連覇の偉業を成し遂げるのだった。

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