アギーレは日本サッカーとどう向き合い、何を変えようとしていたのか

2015年02月04日 熊崎敬

「自分たちのサッカー」にメスを入れるものだった。

アギーレの半年間を総括。メキシコ人指揮官は、日本サッカーをどう変えようとしていたのか――。 写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト写真部)

 就任からわずか半年で日本代表のハビエル・アギーレ監督が解任された。成績は6勝2分け2敗。先のアジアカップでは、5大会ぶりの準々決勝敗退という結果に終わった。
 
 結果が出ていたとは言い難いが、私はアギーレ監督の手腕を高く買っていた。それはブラジル・ワールドカップで明らかになった日本の課題に、正面から取り組む姿勢が見られたからだ。
 
 ブラジルで明らかになった課題、それは「日本流組織サッカー」の限界だ。
 ザックジャパンは日本サッカー界が大切にしてきた「数的優位」の理論に従い、ゲームを進めようとした。特に香川真司、本田圭佑、長友佑都というトップクラスの才能でトライアングルを組むことによって、ゴールへの突破口を見出した。
 
 つねにグループで状況を解決しようとしたのは、「日本人は個人では勝負できない」という思い込みが根底にある。
 だが、集団性を前面に押し出したサッカーはブラジルで破綻した。それは予想されたことだった。サッカーはいつも数的優位で戦うことはできない。対戦相手が強ければ、複数で囲んでも人数の少ない外側を突かれることになる。
 
 ザックジャパンは、弱い個人を集めて強い組織を作ろうとした。だが、世界の列強は強い個人が強い組織を編んでくる。その違いがワールドカップのコロンビア戦で浮き彫りになった。
 コロンビアの強さ、上手さに翻弄された日本は組織が崩壊し、一人ひとりが一騎打ちで次々と倒されていった。
 
 アギーレが起用したメンバーは、ザックジャパンとほとんど変わらない。柴崎岳と武藤嘉紀が抜擢されたが、アジアカップでレギュラーを張るには至らなかった。
 
 メンバーはほぼ同じ。だがアギーレ監督は、結果的に「アンチザック」ともいえるプレースタイルを打ち出した。
 
 システムは4-2-3-1から4-3-3に変わり、日本代表の試合運びは大きく変わった。
 密集から拡散へ。アギーレのチームは選手間の距離が遠い。
 数的優位から1対1へ。選手間の距離が広がったことで、1対1の局面が増えた。
 横から縦へ。ザック時代は横へ横へとパスをつないでいたが、3トップになったことで自然と縦へのパスが増えた。ゴールに向かう姿勢が確実に強くなった。
 
 これで私がアギーレを支持していた理由が分かっていただけると思う。アギーレの打ち出したサッカーは、それが狙ったものだったのかはともかく、「自分たちのサッカー」に溺れる日本サッカーの病根に鋭くメスを入れるものだったのだ。

次ページ監督の手腕だけでは補いきれない問題が横たわる。

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