謎の吐き気と下痢。自分の身体ではないような感覚に襲われ…【福田正博が語る“オフトジャパンの真実”EP3】

2020年05月12日 白鳥和洋(サッカーダイジェスト)

かつてないプレッシャー

ワールドカップのアジア1次予選でも活躍した福田が、アウェーのUAE戦では……。写真:サッカーダイジェスト

 まだ日本がワールドカップ本大会に出られなかった時代、どこか人間臭く、個性的で情熱的な代表チームが存在していたことを是非、知っていただきたい。「オフトジャパンの真実」としてお届けするのは、その代表チームの中心選手だった福田正博の体験談を基に、「ワールドカップに絶対出る」という使命感を背負って過酷な戦いに挑んだ日本代表の物語であると同時に、福田自身の激闘記でもある。今回は<エピソード3>だ。

【前回までのあらすじ】
 オフトジャパンで最初は反発しながらもハンス・オフト監督との信頼関係を築いた福田は、代表チームでトップ下に定着。ダイナスティカップに続き、アジアカップでも優勝に貢献し、ここまでは良い流れで来ていた。しかし──。

<エピソード3>
 1992年11月のアジアカップ制覇で、オフトジャパンへの注目度は高まった。翌年にJリーグの開幕が控えていることもあり、日本で空前のサッカーブームが起ころうとしていた。それを肌で感じていた福田の内面にもある変化があった。

「アジアカップの優勝で、自分に期待する部分が出てきたよね。『やらなきゃいけない』って」

 世の中的に「ワールドカップに出られるんじゃないか」という機運が高まっていたからでもあるだろう。この頃になると、福田は自分に大きな期待をするようになった。ダイナスティカップに続き、アジアカップでも貴重なゴールを挙げるなどして優勝に貢献したのだから、決して驕りではない。むしろ、当然の心の変化である。

 ただ、その期待が力みを生むきっかけにもなったと言えるだろう。実際、93年4月から始まるアメリカ・ワールドカップ・アジア1次予選に向け、「平常心を保てなかった」と福田は証言している。

「それまでほとんど来なかったメディアが(93年2月の)イタリア遠征にどっと押し寄せ、神戸や沖縄のキャンプにも凄い人数が来る。Jリーグの開幕も迫っていて『ワーッ!!』となっていたから、もの凄いプレッシャーを受けていた。平常心なんか保てないよ」
 
 迎えたアジア1次予選、ホームで迎えた初戦の相手はタイだった。グループFに組み込まれた日本は、タイの他にUAE、バングラデシュ、スリランカと同居。ここから最終予選に進めるのは1か国という条件を考えれば、このタイ戦(4月8日)での勝利は必須だった。

「みんなガチガチで、かたい試合になったよ。タイが上手いというのもあって、最初はなかなかペースを握れなかった」

 それでも、0-0で迎えた29分、福田が決定機を演出する。森保からボールを受けると、ルックアップしないまま前線の三浦知良(以下カズ)へ絶妙なパスを送ったのだ。これをカズが左足のハーフボレーで蹴り込み、日本は待望の先制点を奪う。福田曰くこのアシストが「タイ戦でやった唯一の仕事」だった。
 

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