【FC東京】J2降格からの逆襲。“起爆剤”となったキーマンは…

2020年05月04日 馬場康平

降格時に涙を流さなかった男が…

J2降格の翌年、富山戦でゴールを決めた羽生(手前右端)がいわば救世主的存在になった。写真:Jリーグフォト

「頼むから辞めてくれ」

 正田醤油スタジアム群馬の観客席から発せられた声に向かい、大熊清監督は頭を下げた。1年でのJ1復帰を最大のミッションとして掲げて臨んだ、FC東京の2011年シーズン。東日本大震災の影響によって一時リーグが中断し、再開後は主力選手に怪我人が続出した。中断期間中の練習試合で、平山相太が右足を骨折し、リーグ再開初戦のジェフユナイテッド千葉戦で米本拓司も大怪我を負った。さらに平山の代役として期待された高松大樹も、このザスパ草津戦で負傷し、3か月間の離脱を余儀なくされてしまう。

 指揮官は、平山の高さを軸に、開幕前からチーム作りを進めてきた。だが、そのプランは脆くも崩れ、絶望的な窮地に陥っていた。当時の状況を今野泰幸は、こう口にしていた。

「このままJ2で下位を争うんじゃないのか。ふたを開けてみると、自分たちには何も残されていないのかもしれないと思うようになった」

 この絶望的な状況を救ったのは、J2降格が決まった西京極でひとり、「涙なんて出ない」と語った選手だった。羽生直剛は、その日もピッチ脇で体を温めていた。時間の経過とともに、敗戦の色が濃くなっていく。それでも自分の名前が呼ばれることはなかった。試合終了の笛が鳴り、仲間がピッチに倒れ込み、ベンチの選手たちもうずくまって目を赤くしていた。その光景を目の当たりにしても、羽生は奥歯をかみしめていた。試合後、気持ちの整理もつかぬまま、「悲しいとか、悔しいとかいう感情を通り越えて、なぜか涙が出てこない」と言った。
 
 その羽生が、感情を露わにしたのが、5月8日のカターレ富山戦だった。その試合で、途中出場すると、チームを救う決勝ゴールを奪ってみせた。試合後、お立ち台に立ち、あふれる感情を言葉にしようと試みた。だが、それに詰まると、襟口を伸ばしてユニホームに顔を埋めた。目頭を押さえ、泣けなかった男は涙を流した。

「良い評価を得られなかった時も、僕の存在価値みたいなものを分かってくれている人たちがいた。そういう人たちも、あのゴールを一緒になって喜んでくれたと思っている。オレができると思っていた選手は、まだやれるじゃねぇかって。その人たちに思ってもらえたかもしれない。一生懸命やっていれば、まだここでだって輝けるんじゃねぇのかという自信になった」

 草津に敗れ、崩れ落ちそうなチームを好転させるために、選手ミーティングを活発化させていった。そのなかからポジショニングにこだわり、ボールを大切につなぐサッカーへの回帰が選手たちから自発的にわき起こっていった。その火をつけたのが、羽生だった。

 5月22日の湘南ベルマーレ戦以降、羽生は定位置を確保し、ピッチに立ち続けた。そこから快進撃が始まる。その課程で、田邉草民、高橋秀人ら若手も次々と台頭。その中で、前年の自らを「年間ワーストプレーヤー」と吐き捨てた、森重真人も際立つプレーを見せ始める。
 

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