【黄金の記憶】小笠原満男の心を震わせた、オノシンジの図抜けた「人間力」

2020年05月03日 川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

「あの時のシンジの姿勢がいまでも忘れられない」

同い年ながら、小野に対して最大限のリスペクトを示した小笠原(写真はインタビュー当時)。(C)Miki SANO

 当サイトで好評を博した連載『黄金は色褪せない』。1999年のナイジェリア・ワールドユースで銀メダルに輝いた"黄金世代"のなかから、小野伸二、遠藤保仁、小笠原満男、稲本潤一、本山雅志の5人に登場してもらい、その華麗なるキャリアの全容に迫ったインタビューシリーズだ。

 今回はGW企画「黄金の記憶」として、数多ある興味深いエピソードから厳選した秘話をお届けしよう。

 舞台は2005年の秋。ドイツ・ワールドカップのアジア最終予選が佳境を迎えていた頃、ジーコジャパンは重要なバーレーン戦に臨もうとしていた。決戦の地マナーマで、小笠原は盟友・小野の"人間力"に心を揺さぶられるのだ。

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 恩師ジーコが監督に就任してから、小笠原満男は日本代表の中盤に欠かせない存在となっていく。ドイツ・ワールドカップまでの4年間、すべての試合や遠征に招集された。
 
 だがそれは、自問自答を続ける葛藤の日々でもあった。
 
「トルシエさんの頃に比べたら割と使ってもらえるようにはなった。でも、海外でやってる選手が帰ってくると出れない、いなければ出れるっていう構図。なんとか覆して自分のポジションを確立したいと思ってたけど、ヒデ(中田英寿)さん、(中村)俊輔さん、シンジ(小野伸二)、イナ(稲本潤一)の4人がいると、まあ出れなかったね。悔しさはあったよ」

 
 そんななかでも、ひとたびピッチに立てば、小笠原は印象深い働きを披露した。その最たるゲームが、2005年6月3日のドイツ・ワールドカップ最終予選、敵地でのバーレーン戦だ。圧巻のパフォーマンスを示し、鮮やかなミドルシュートを蹴り込んで1-0の快勝に貢献。3大会連続出場をグッと引き寄せる、貴重な3ポイント奪取だった。

 このバーレーン戦の前日、小笠原は生涯忘れることのない出来事に遭遇する。
 
「あの試合は、シンジが直前の練習で骨折して、俺に出番が回ってきただけ。急きょ出ることになったわけだけど、あの時のシンジの姿勢がいまでも忘れられない」

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