30歳でJ1に出世した遅咲きの苦労人。町田の7年間で見てきたストライカーの流儀【番記者コラム】

2020年05月02日 郡司 聡

ストライカーとして特筆すべき能力は…

鈴木孝司は町田でプレーした7年間で通算50ゴールを決めた。クラブ1位の記録は、いまだに破られていない。(C)J.LEAGUE PHOTOS

 プロ入りから7年間プレーした町田を18年に契約満了となり、トライアウトを経て19年に加入した琉球では半シーズンで15得点とブレイク。シーズン途中の8月にJ1のC大阪へ移籍し、9月の川崎戦でJ1初ゴールを記録する――。

 30歳で成功を掴んだ苦労人である鈴木孝司の"サクセスストーリー"は、驚きをもたらしただろう。しかし、ルーキーイヤーの12年にJ2の町田で1点も取れなかった男が、のし上がったのも、町田の番記者として"定点観測"してきた身からすれば、決して驚きはない。
 
 サポーターからも名前で親しまれていた孝司は、14年に19ゴールを挙げて初代J3得点王の座を勝ち取り、「ゴールを奪うことで成り上がってきた」。町田でゴールを量産し始めたJFLでの13年から、頭、右足、左足とゴールのパターンに偏りはなく、オールラウンダーなストライカーとして実力を発揮してきた。そんな孝司について、16年の町田加入以降、18年まで主に2トップを組んできた中島裕希も「なんでもできる、オールマイティなFW」と評していた。

 ストライカーとして特筆すべき能力は、"ゴールへの逆算"に優れていることだ。本人が「何年も前のゴールシーンでも鮮明に覚えている」と語るほど、彼の頭の中にはゴールシーンの引き出しが蓄積されている。瞬時の判断が必要とされるピッチ上では、「味方と相手の状況を考慮して適切な判断を下し、常にゴールを意識してポジショニングをしている」ことが、ゴール量産の秘訣だという。

 試合直後でも、淀みなく自分の言葉でゴールシーンの詳細を述懐できる頭脳は、それだけゴールへの逆算を綿密に導き出し、それを実践に移しているからこそ。筆者がこれまで取材してきたなかで、自分の言葉でゴールシーンを語れる孝司と同タイプの選手は、元柏の工藤壮人や浦和の武藤雄樹らが当てはまる。

 さらに孝司は15年、大分とのJ2・J3入れ替え戦でチームの全3得点をひとりで叩き出した"勝負強さ"も兼備する。舞台の大きさこそ異なるものの、16年のチャンピオンシップでは鹿島(当時)の金崎夢生が、準決勝の川崎戦と決勝の浦和戦(ホーム&アウェー方式の2試合)の3試合で全3得点を記録。その活躍は彼と重複する部分はあるが、孝司は「自分が言える立場ではないですが……」と前置きしつつ、「大舞台で活躍できるのは実力の証。1年間の積み重ねの結果と強い気持ちが結果に反映されていました」と話すなど、彼自身も金崎から大いに刺激を受けていた。

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